(韓国、北朝鮮38度の休戦ライン6)中国の参戦!そして停戦へ!!
北朝鮮の建国者でもあるイルソンは絶体絶命の大ピンチに立たされてました。そしてイルソンに残された頼みの綱は中国しかありませんでした。
アメリカは当初 中国の参戦はないと見込んでました。一方 中国もアメリカ軍の近代兵器とやり合うつもりはありませんでした。
それどころか中国共産党は台湾国民党との内戦が終わったばかりで疲れ切ってました。さらにその時 中国は遠くチベットにまで進出の手を広げてました。
その時イルソンは床にへばり付くナメクジのような土下座をし命声で中国の親分〃毛沢東もうたくとう〃に出兵のお願いをしたそうです。
その甲斐(かい)あってやっと中国の親分〃毛沢東〃は朝鮮への出兵を決めたそうです。その時イルソンの顔はボロ布の様に〃しわくちゃ〃になり感激の涙で溢れていたそうです。
その後 中国はチベットと朝鮮の2か所同時に戦争をする事となります。
中国が参戦すると今度はアメリカ率いる国連軍が後退し ついにソウル近くの38度線(※国境)まで追いやられてしまいます。その後はソウルを取ったり取られたりを繰り返します。
そのとき当時日本を統治していたマッカーサーが中国に原爆を落とそうとしていたそうです。結局その計画は無くなりましたがそれでも毛沢東(中国)の息子が戦死してしまいます。
そして38度線あたりでこう着状態が約2年以上も続きます。その後アメリカとソ連の指導者が変わりそれに伴(ともな)いそれぞれの国で政策転換が行われました。
その事が転機となり開戦から3年後の1951年7月10日にとりあえず戦争は中断しようと言う休戦協定が結ばれました。
その停戦状態が今に至るまで66年以上続いると言うことです。しかし戦争が停戦となってもアメリカ軍はずっと韓国国内に居続ける事となるのでした。
ーーーーーーこのあと南北分断を象徴する建物でもある板門店(パンムンチョン)ツアーについてです。つづきをどうぞ
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