(浅草寺17)いつの時代も繰り返される繁栄と衰退
テスト
浅草六区は明治から昭和にかけて歌舞伎小屋や映画館が並ぶ日本一の歓楽街だったそうです。
その六区にあった池がひょうたんの形をしていたのか?それとも池の表面にひょうたんがポカポカ浮いていたのか?
その辺のところはよくわかりません が昭和26年(65年前)まで浅草六区に〃ひょうたん池〃があったのは事実のようです。
さらに池には噴水とその周りにはヨーロッパに来たかのような洋風の建物が幾つか建っていたそうです。
そして中世ヨーロッパのビルのような建物は凌雲閣(りょううんかく)と言います。その建物は当時日本一高い建物だったそうです。
そして凌雲閣はひょうたん池のすぐ近くに建ってました。
その時代この付近一帯は映画や歌舞伎を楽しみに来た人々で まさに満員列車のような混雑ぶりだったそうです。
夜 閉店間近の映画館では さらに多くの人が詰めかけたそうです。なぜなら映画が終わりに近づくとチケットが割引されるからだそうです。
そのためエンディングだけ見て満足するお客さんも大勢いたそうです。しかしそんな映画界にも思わぬ強敵が出現します。
そして昭和30年代後半(50年前)あたりから徐々にその強敵でもあるテレビが一般家庭に普及し出し浅草六区の映画館も次々と閉館に追い込まれて行きます。
今では凌雲閣や浅草六区の歌舞伎小屋は博物館に模型が残るのみとなってしまいました。そして近年 浅草六区は歌舞伎小屋だけでなく映画館もすべて全滅してしまいました。
ーーーーこのあともう一つの繁栄と衰退の物語を紹介します。つづきをどうぞ
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