5中国に仏教 南ベトナムにクメール文化到来 中国三国志時代(1世紀と2世紀)
1世紀(紀元後1年~100年) |
1世紀 茅台酒の故郷(貴州省) 2000年前の漢の時代 赤水は名酒の地として知られていた。漢の時は船で塩を下ろし酒を積んで帰っていった
1世紀 仏教徒が多数を占めるトルファンではブドウ栽培とワインづくりが盛んであった
1世紀 ウイグル トルファンほか 1200本のカレーズ(人工的に作られた地下水路)全長4000キロ 深さ30メートル
1世紀 クズルガハ千仏洞とクズルガハ烽火台(クチャ) 漢の時代に築かれた キジ国遺跡
1世紀 約2000年前 三峡 瞿塘峡(四川)崖の上の棺(岩棺)
1世紀 見張り台の役目 山景色に丹巴(四川省)の碉楼 清代の物が最も多い
1世紀 月牙泉(敦煌) 鳴沙山の砂漠のオアシス 2000年前から水がわき続けている
1世紀頃 ルソン島北部でバナウィの棚田が作られ始める
サガダ ルミアン洞窟 崖に棺桶 1世紀
25年
漢の都は長安(現 西安)から洛陽へ移される 洛陽は周朝以来 約200年ぶりの都 復活となった
モンゴルでイナゴの大発生が原因で大飢饉が起こる
匈奴の人口は3分の1まで激減した。
南匈奴が匈奴(本体)から分裂する。南匈奴は後漢と友好関係を築き長城の内側に暮らす事を許される
1世紀中頃
後漢製(中国)の金の印鑑が日本の弥生時代の遺跡から見つかっている
68年
インドから仏教を伝えに(摂摩騰しょうまとう)別名 迦葉摩騰(かしょうまとう)中国河南省へやって来る 当時 中国では儒教が主な宗教であったが その後 仏教は儒教と対立することなく取り組まれていった
68年 インドネシアから来たクメール人(外国人)がカンボジアから南ベトナムにかけて扶南国(ふなんこく)を建国する。なお国名は のちの時代につけられた物
扶南国(ふなんこく)の頃 インドシナ半島にインド文化が伝わった。ヒンドゥー教とサンスクリット語が普及した。
91年
91年 後漢(中国)は鄯善国(ウイグルの南=西域)やホータン カシュガル クチャなどの都市へ出向き忠誠を誓わせた が しかし
当時 西域(ウイグルや中央アジア)ではローマとの貿易が盛んにおこなわれていた。
北匈奴(本体)は南匈奴(分裂)と後漢の攻撃を たびたび受け滅亡する
北匈奴の人々は西方(中央アジア)の方へ逃げていった。
北匈奴滅亡後 南匈奴も力が弱まり 変わって鮮卑(せんぴ)がモンゴル高原一帯を統治する
鮮卑は のちに中国で北魏を立ち上げる民族
2世紀(101年~200年) |
2世紀~3世紀の弥生時代に邪馬台国(日本)と言う小国が結成される
※邪馬台国の都は いまだ不明 物的証拠がないため架空の王朝の可能性もあり※
2世紀後半
倭国(日本)では倭国大乱言う内戦状態へ突入する
180年ごろ
中国全土が内戦状態となった 三国志時代(180年頃 – 280年頃)に突入する 人々は平和を願い 仏教を信仰する人が増えた
三国時代では 諸葛孔明が活躍し 蜀(しょく)が栄える (中国 成都)
荊州故城(湖北省) 180年~280年 三国志時代 関羽が建てた城 現在の物は明代に建てられた
剣閣(四川省) 180年~280年 三国志時代の検問所 現在の建物は四川大地震の後再建された物
後漢時代 道教の一派 太平道が起こした黄巾の乱(反乱)を切っ掛けに三国時代が始まる
190年
190年 漢の都は洛陽から再び長安(現 西安)
へ戻される 長安は約170年ぶりに都 復活となる
ベトナム中南部に後漢から独立したチャンパ王国が誕生する
チャンパ王国はヒンドゥー教を信仰しチャム語とサンスクリット語を使用していた
2世紀末 チャンパ王国(ヒンドゥー教)がミーソン遺跡を建設
チャンパ王国は 現在のベトナム中部に1640年間続いた王朝
つづきを見る
つづきを見る
1恐竜の足跡 氷河期 北京原人ルソン原人 日本縄文時代 (8000年前~6000年前)
2中国王朝の誕生 楼蘭の美女 日本弥生時代(5000年前~前8世紀)
3中国初の統一王朝 秦の始皇帝時代 儒教誕生(紀元前7世紀~前3世紀途中)
4モンゴル初の統一王朝 前漢と匈奴の時代(紀元前3世紀~前1世紀)
5中国に仏教 南ベトナムにクメール文化到来 中国三国志時代(1世紀と2世紀)
コメントを残す