5モンゴル帝国時代②中国中東ロシア朝鮮 占領(13世紀 中期)
2代目 オゴデイ ハンがモンゴル高原のカラコルム(モンゴル)に宮殿と城壁を築き都を構える カラコルムはモンゴル帝国最初の首都となる
モンゴル軍 カシミール(インド パキスタン)へ進行する
同時に別のモンゴルの部隊がパキスタン ペシャワールに侵攻した
また20〜30kmおきに宿舎を構え帝国内の伝達を効率よく行った
モンゴルの3度目の高麗(朝鮮)侵攻で江華島(韓国)は陥落した。
シチ川の戦い チンギスハーンの孫 バトゥ率いるモンゴル軍がロシア東北部のウラジミール大公国を攻め落とす
モンゴル軍はクリミア(ウクライナ)とモルドヴァにも攻撃を加えた
ちょうどそのころモンゴル帝国 第3代皇帝 グユクもイラン系遊牧民のアラン人を支配下に置いた
高麗は一般の人を皇族と偽り奴隷としてモンゴル帝国に差し出した。奴隷を引き取ったモンゴル軍は とりあえず朝鮮から撤退した。
キエフの戦い モンゴル軍がウクライナに侵攻して始まったモンゴル帝国 対 キエフ公国(ウクライナ)との戦争
モンゴル軍は32の投石機で攻撃を仕掛けた 大敗を期したキエフ公国は滅亡した。 キエフの人口は5万から2千人へと激減した。
モンゴル軍は ポーランドへ侵攻した。
トゥルスクの戦いでモンゴル軍は圧勝した
チンギスの孫バトゥ軍はドイツ ポーランドの連合軍との戦いで大勝利を収める
フミェルニクの戦い レグニツァの戦い モヒの戦い が一昨年から続いて行われ戦闘は4回ともモンゴル軍が勝利した。
バトゥ率いるモンゴル軍はハンガリーに侵攻してハンガリーを降伏させた。
モンゴル軍はパキスタン(インド国境)ラホールを包囲した。
モンゴル帝国2代目皇帝でチンギスハーンの3男オゴデイが急死する。その後 皇帝不在の期間が5年続く
モンゴル軍はチェコのモラヴィアやオーストリアまで攻めるが 軍は2代目皇帝 死去の知らせを聞き撤退した。
バトゥは南ロシアにキプチャクハン国と言うモンゴル帝国とは別の政権を立ち上げる
モンゴル帝国はキョセ・ダグの戦いで トルコ セルジューク朝とトレビゾンド帝国に圧勝する この戦いを機にグルジア(ジョージア)もモンゴル軍に従うようになった。
1244年 永平寺(福井)
チンギスハーンの孫 グユク(病弱)が第3代皇帝の座に就くが就任2年で病死する
モンゴル帝国は さらなる奴隷を求めて朝鮮へ攻め込む 4度目の朝鮮侵攻は3年間続いた
三代目皇帝 グユクは軍を率いてバトゥ征伐に向かう あわや内戦勃発と言うところでグユクは遠征途中で病死する
モンゴル帝国 第4代皇帝に モンケ(クビライハーン(5代目)の兄)が即位する
その後 モンケとバトゥは手を組み グユクたちのオゴタイ家やチャガタイ家と対立する
1253年 4代目 北条時頼(ときより)より 建長寺(神奈川県) 創建が建てられた ※けんちん汁 発祥の寺
モンゴル帝国は6度目の朝鮮侵攻を行う 最後の高麗(朝鮮)との戦いは6年に及んだ
朝鮮半島はモンゴル帝国の攻撃を受け廃墟となり以後80年間モンゴルの支配を受けることとなる
クビライ(弟)が4代目モンケ(兄)の命を受け雲南省の大理(国)を制圧する
クビライは内モンゴルに開平府(上都=世界遺産)に都城を築き南宋や高麗との戦いに備えた
クビライが4代目モンケの命を受け雲南省の大理(国)を制圧する
モンケは弟のクビライの功績を妬みクビライを解任してしまう
モンゴル帝国はイラン高原を征服する
チンギスハーンの孫 フラグがイスラム王朝のアッパース朝(イラク シリアなど)を滅ぼし (アッパース朝はのちの時代に復活する)
バクダードの戦いでは80万人ないし200万人が戦死したと言われている 多くの貴重な書物や文物も焼かれてしまった。
今のイラン イラクからトルコにかけ広大な領土を持ったイルハン国を立ち上げる
第一次元越戦争(ベトナム対モンゴル)ベトナムの勝利
元(モンゴル)の大群がベトナムに攻めてきたがハロン湾の洞窟に武器を隠し入れゲリラ戦で勝利した
ハノイのホアンキエム湖にはベトナムと元(モンゴル)との戦いで活躍した戦死が祀られている
4代目皇帝モンケは手柄を上げるため自ら戦場に向かうが伝染病にかかり亡くなる
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1唐と吐蕃の時代①朝鮮初の統一王朝 唐中央アジア併合(7世紀)
2唐と吐蕃の時代②イスラムの台頭 安史の乱 タラスの戦い(8世紀と9世紀)
3日本は初めて朝鮮は2度目の統一王朝 誕生(10~12世紀)
4モンゴル帝国時代①中東インド ヨーロッパ遠征(13世紀 前期)
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