1ペストの世界流行①室町②明③李氏朝鮮が誕生(14世紀)
14世紀 龙脊梯田(龍背棚田)広西チワン 明
モンゴルのインド攻撃は またしても失敗し多くのモンゴル兵が捕虜となり殺害された。
モンケの死後 40年に渡って行われてきた内部抗争は終結した。
14世紀 バイバイン (文字)と言うフィリピン独自の文字を使用していた 言語はタガログ語を使用
14世紀 チャンパ王国(ベトナム中部)のポークロンガライ遺跡が完成する
大越(ベトナム北部)とチャンパ王国(ベトナム中部)の関係が再び悪化する
モンゴルでは6代目テルムが亡くなると再び後継者争いが始まる
1331年
当時 鎌倉幕府(日本の中央政権)と敵対関係にあった後醍醐天皇は幕府に不満を持つ民衆を集め兵を結成した
そして後醍醐天皇は京都の笠置山に立てこもるが 幕府軍の攻撃に会い捕まってしまう
後醍醐天皇は沖ノ島(福岡と対馬にある小島)へと流される
1331年 京都御所(天皇家が約500年間使用した住まい)が建てられる
元(中国大陸)でペストが猛威を振るい死者が急増し人口は半分に激減する
帝国の総大将を勤めていた大カーンことフビライのトルコ語とモンゴル語で書かれた遺言がイスタンブール(トルコ)に残っている
遺言には〃力による支配はしてはならない 最も大事なことは心をつかむこと〃と書かれていた
しかしフビライの後継者は その遺言を無視 民族同士の権力闘争に明け暮れることとなる
やがて 帝国の基盤は緩んでいく そこへやって来たのはヨーロッパで猛威を振るった病原菌ペストだった
モンゴル帝国が築いた交通の発展が あだとなりペストは瞬く間に広範囲に広がった
ペストの大流行は全世界の人口の約3割を死亡させ およそ8,500万人が亡くなった
そして14世紀後半 モンゴル帝国は ついに滅亡することとなる
1333年
鎌倉(神奈川)で内乱が発生し148年続いた鎌倉幕府は滅亡した。
1336年
約150年ぶりに天皇家が日本(北海道と沖縄を除く)の政権を取った。都も約150年ぶりに京都に移された。
京都に戻った後醍醐天皇が独裁政治を行った。その独裁政治が武士の不満を買い のちの反乱へとつながる
後醍醐天皇の政権は足利尊氏(鎌倉幕府出身の武士)の攻撃を受け たった3年で崩壊する。政権を追われた後醍醐天皇は滋賀県の比叡山へと逃れる
足利尊氏(鎌倉幕府出身の武士)は京都で室町幕府を開く 日本(北海道と沖縄を除く)では室町時代が始まる。
1339年 後醍醐天皇が62歳で崩御(亡くなる)する 尊氏は かつての宿敵 後醍醐天皇の追悼の意を込めて天竜寺(京都)を建てた
1346年 姫路城 兵庫県 完成
中国のネズミが発生源のペスト菌はヨーロッパにまで拡散する 以後70年間 猛威をふるい続けた
1350年代 大越の都ハノイはチャンパの侵入をたびたび受けることとなる
白蓮教徒(宗教団体の一つ)が起こした元王朝に対する反乱 紅巾の乱が発生する
1351年
朝鮮半島を統治していた元王朝が滅びたことにより高麗が再び半島を統治することとなる
1358年
京都(日本)で室町幕府の創始者 足利尊氏が54歳で亡くなる。
1362年
高麗の都 開京(開城ケソン)は中国大陸で元王朝を屈服させた紅巾賊に占領されていたが 高麗軍が紅巾軍(中国)を撃退し撤退させる
1368年
白蓮教徒(宗教団体の一つ)が起こした元王朝に対する反乱 紅巾の乱が発生する
元王朝は滅亡する
反乱の指導者から現れた朱元璋(しゅげんそう=安徽省出身)が明を建国した
その2年後 高麗(朝鮮)は建国 間もない明の属国となる
明の初代皇帝 朱元璋は首都南京に長さは35キロの世界一長い城壁を築く
明建国以降 万里の長城が明と北元の国境となった
明は北方異民族の侵入を防ぐため万里の長城をより強固な作りにした 北京郊外の八達長城もその一つ
1368年 金山岭长城 金山嶺長城(河北省) 明代 完成
平遥古城(山西省)の城壁が築かれる
ハノイの昇龍はチャンパの攻撃を受け破壊される
1372年 嘉峪関(甘粛省) 明朝がウズベキスタン ティムール朝の攻撃に備え作った城壁の関所 長さ733メートルの煉瓦作りの城壁
14世紀末(1372年) 明(中国)がフィリピンに使節を派遣した さらに明に住んでいたアラブ人がブルネイ(フィリピン ミンダナオ島)にイスラム教を広めた そのためフィリピンでイスラム教を信仰する人が増え始める 明とトンド王国 ルソン国、呂宋国(フィリピン)との貿易も盛んになる
大越(北ベトナム)で飢饉が発生する
1378年
室町幕府(北海道と沖縄を除く日本の政権)は京都に豪華な〃花の御所〃を築く
1380年 鼓楼(甘粛省 西安) 明代建造
1380年 東関清真大寺dong guan qing zhen da si(青海省 西寧) 巨大イスラムモスク 完成
長城が海の端 山海関(河北省)まで完成した。
元が中国大陸から撤退したのちモンゴル人がいなくなった樺太では再びアイヌ人が戻って来た。
1392年
高麗内で軍事クーデターが発生し その中から李成桂が李氏朝鮮を建国し 高麗は滅亡した。
李氏朝鮮では高麗(前政権)を否定するため仏教を排除し儒教を多く取り入れた
以後 韓国に至るまで600年間 首都はソウルとなる 李王朝は約500年続く長寿国 また李王朝が今のところ最後の朝鮮統一王朝となっている
1394年
室町時代の京都(日本)で とんち で有名な僧侶 一休宗純(一休さん)が生まれる
一休さんは戦の愚かさと堕落した僧侶を厳しく批判した
1394年 清州城 愛知県 完成
1395年 宗廟 韓国 ソウル(景福宮) 李氏朝鮮誕生 2年後に建てられた王宮 16世紀末 豊臣秀吉の朝鮮出兵の後 一度 破壊されている
1397年
室町幕府(北海道と沖縄を除く日本の政権)は金閣寺を含む 北山山荘を建設する 建設費用は今のお金で700億円以上
1398年 明考陵 明の初代皇帝 朱 元璋(しゅげんこう)が亡くなり 南京に明考陵と言う巨大なお墓が建てられた
14世紀末
当時まだ室町幕府(日本の中央政権)の統治下になかった沖縄で首里城が築かれる
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1ペストの世界流行①室町②明③李氏朝鮮が誕生(14世紀)
2日本内戦勃発 応仁の乱 明 北京遷都 モンゴルの反乱 土本の乱(15世紀)
3大航海時代到来 フィリピン スペインに占領される(16世紀 前期)
5ベトナムホイアンの発展①江戸幕府②清が誕生(17世紀 前期)
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