4安土桃山時代 秀吉の朝鮮出兵(16世紀 後期)
フエとホイアンを含むベトナム中央部は広南国が統治する チャンパ王国は南へと追いやられる
その時 多くのチャンパ難民(チャム族)がカンボジアに押し寄せた
1559年 赫図阿拉ヘトゥアラ(遼寧省 撫順)は後金と後金の初代皇帝ヌルハチ(満州族)の生誕地 またサルフの戦い(1616年)の戦場となった場所でもある
1560年 奈良の大仏 2回目の焼失 大仏は その後すぐに再建される
戦国時代の日本では 織田信長が三河(愛知県)の岡崎城で信長より8歳年下の松平元康(のちの徳川家康)と同盟を結んだ
徳川家康はのちに政権を取り徳川幕府を開く人物である
1563年 小牧城(愛知県)
1567年 墨俣城すのまたじょう 岐阜県大垣市 秀吉は信長から墨俣城の城主の地位を与えられる
戦国時代の日本では 織田信長が兵を引き連れ京都に入る
当時 京都は まだ室町幕府の足利政権が支配していたが 足利将軍は すんなりとの信長の要求を受け入れ関西の統治権を信長に譲った。
戦国時代の日本では 織田信長が比叡山(滋賀)を焼き討ちにした 延暦寺は3日間にわたって燃え続け3000人の僧侶が命を落とした
信長は かねてから政治に口出しする僧侶たちを嫌っていた。
1571年 スペインはマニラを占領 ルソン国はスペインの支配下に入り のちにルソン国はスペイン領のトンド州(現マニラ)となった
先にフィリピンに到達し生活していた華僑たちは後からやって来たスペイン人たちに迫害を受ける事となる
そしてスペインはフィリピンの香料を独占した
ただフィリピンでは あまり香料が取れなかったのでスペインはフィリピンを植民地の中継地として利用した。
(同年) サンオウガスチン教会(バロック様式のカトリック教会)
戦国時代の日本では足利最後の将軍が逃亡した。
それにより 室町時代は235年の歴史に幕を下ろした。
1573年 朱家角しゅうかかく(上海郊外の水郷の町) 宋代に水路が築かれ明代に建物が建てられた
1574年 スペイン人によってルソン島北部の商業の町 ビガンが築かれる
ビガンは太平洋戦争の戦火を奇跡的に逃れ 今は世界遺産となっている
1575年 長浜城 滋賀 出世した秀吉が信長から褒美として譲り受けた城
織田信長は琵琶湖のほとりに華麗な安土城(滋賀県)を建てた
それ以降 日本では安土桃山時代が始まる
明の高級官僚の庭園 豫園(上海)が18年の歳月をかけて完成した
安土桃山時代の日本では織田信長が信長の家来 明智光秀が起こした反乱 本能寺(京都)の変 で焼死する。49歳だった。
そのとき 豊臣秀吉は広島遠征に出かけており無事だった。秀吉は明智光秀を打つべく京都へ戻る
明智は秀吉の軍に屈服し戦死する。
安土桃山時代の日本では 豊臣秀吉が大阪城の建設を命じた
その建設にあたり堺の港には毎日200~1000トンを超える石が運ばれて来た 建設には武将も当てられ1日 3~4万人が建設に携わった
1583年 タール寺(塔爾寺 湟中県 青海省 西寧) チベット寺院
1585年 駿府城 静岡県 家康が戦国時代に過ごした城
1586年 安土桃山時代の日本では豊臣秀吉が造らせた大阪城が完成した。
その後 豊臣秀吉は支配地域を広め全国(北海道と沖縄を除く)統一を成し遂げる
カラコルム郊外のエルデネゾーはモンゴル最古のお寺
お寺は世界遺産 オルホン渓谷の一部となっている
安土桃山時代の日本は豊臣秀吉が琉球(沖縄)に年貢(税金)を納めるよう要求した。
琉球は明(中国)に助けを求めたが しかし琉球は秀吉の脅しに屈し米(年貢)を納めることにした。
琉球は明(中国)と日本の両国の属国となり両国に年貢を納めなければならなくなった。
1591年 西本願寺 京都
安土桃山時代の日本では豊臣秀吉が李氏朝鮮(韓国 北朝鮮)に対し明(中国)との国交を断絶するよう要求した。
李氏朝鮮が その要求を断ると秀吉は韓国プサンに1万8千の兵を送り込んだ 秀吉の1回目の朝鮮出兵(文禄の役)が始まった。
豊臣秀吉(日本)の兵は平壌ピョンヤン(北朝鮮)まで攻めるが その後 明(中国)の援軍が駆け付け 秀吉軍をソウル(韓国)まで押し返した。
その時の戦いで朝鮮の英雄 李舜臣(ソウル出身)が活躍したとされている。
広南国(ベトナム中部)ホイアンには大規模な日本人街や中国人街が形成された
日本人がホイアンに日本人街と中国人街を結ぶ来遠橋を建てる
名古屋コーチンがコウチ(現ホイアン)で作られる
日本の豊臣秀吉の元に明(中国)から和平提案が届いた しかしその内容は日本が明の属国になるよう要求するものであった 秀吉はその内容に激怒する
1597年 順天倭城 スンチョンウェソン 韓国
秀吉朝鮮出兵の際 日本兵が突貫工事で建てた日本風の城 完成1年見たたずに廃墟となった 現在は土台のみ残っている
1598年
1598年豊臣秀吉は日本から14万の兵を朝鮮(韓国 北朝鮮)へ送った。2回目の朝鮮出兵となった。しかし秀吉軍は明(中国)の援軍と朝鮮民衆の反撃にあう
豊臣秀吉が亡くなる直前 朝鮮から兵を引き上げる決断をした。秀吉の朝鮮出兵は失敗に終わった。翌年 秀吉は62歳で亡くなった
タイやラオスを支配下に置いたタウング王朝(ミャンマー)は中国雲南省 景紅のシップソンパーンナーを支配下に置く
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1ペストの世界流行①室町②明③李氏朝鮮が誕生(14世紀)
2日本内戦勃発 応仁の乱 明 北京遷都 モンゴルの反乱 土本の乱(15世紀)
3大航海時代到来 フィリピン スペインに占領される(16世紀 前期)
5ベトナムホイアンの発展①江戸幕府②清が誕生(17世紀 前期)
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