2バーレーンの歴史
紀元前3000年(紀元前30世紀)ころから 歴史に登場する アーリア人の軍勢が攻めてきてゼムルと言う街を制圧
人類最古のディルムン文明(サウジ 又はバーレーン) メソポタミア文明(イラク発症) アッシリア文明(イラク発症) の遺跡が残っている
エジプトやインドとの交易があり海上貿易も盛んで島には都市があった
紀元前1000年(紀元前10世紀)以降 チグリスとユーフラテス川上流(イラク)ではアッシリア帝国として再び繁栄する
ちょうどクレオパトラが存在したころ そのころからもうすでに多くの天然真珠が取られていた
紀元前600年(紀元前6世紀) バビロニア帝国(イラク南部)に支配される 続いて 広大な領土を持つペルシャ帝国(イラン)の支配をうける
紀元前323年(紀元前4世紀) ペルシャからの独立を果たす その後バーレーンは数百年間 穏やかな日々を過ごす
7世紀 イスラム勢力が入って来る そのころ 初めてアラビア語のバーレーンと言う地名が付いた
16世紀ポルトガル人が来た要塞の遺跡が残っている そのバーレーン遺跡(世界遺産)は紀元前2300年作られたものに後からポルトガル人が手を加えた物
ポルトガル人はインドからアフリカそしてヨーロッパへと向かう途中の中継地としてバーレーンを占領した
そのころはまだスエズ運河がヨーロッパまで開通していなかったため南アフリカの喜望峰を周りの航路を使っていた
1603年(17世紀) ペルシャがバーレーンからポルトガルを追い出し領土奪還に成功する
その後はペルシャとアラブがバーレーンの領土をめぐって争うこととなる
1782年(18世紀) 隣国カタールから来たハリファ家(現バーレーン王朝の先祖)がバーレーンに移り住む
そしてペルシャ人を追い出し バーレーンの真珠産業に力を入れる
その3年後 バーレーンはオマーンに占領されハリファはカタールに逃亡する
1820年頃(19世紀) ハリファ家はバーレーンへと戻って来る ペルシャ湾は出入口が狭く海賊が強奪しやすい地形にあった
その後イギリスの影響力が強まる ハリファ家はイギリスとの条約でバーレーン人の海賊行為取り締まるとの約束を交わす
1932年(20世紀) 中東近辺でバーレーンが初めて石油の歳出に成功する
1934年には日本にもバーレーンの石油が入ってきた バーレーンの真珠産業は衰退し 代わりに石油産業で大儲けすることになる
1942年にはサルマンが首長となり さらに近代化が加速していく 1961年 サルマンが亡くなった後 サルマンの息子が後を継ぐことになる
1968年 イギリスの保護国から脱却する
1971年 隣国 アラブ首長国連邦 やカタールなどと一緒にバーレーンも正式にイギリスからの独立を果たす
バーレーンの歴史 まとめ
紀元前30世紀ごろ
ディルムン文明(サウジ 又はバーレーン) が出来
紀元前10世紀には天然真珠が多く取られていた
紀元前6世紀ごろ
バーレーンはイラク南部のバビロニア帝国と
イランのペルシャ帝国に続けて支配される
紀元前4世紀
バーレーンはペルシャからの独立を果たす
その後バーレーンは2千年近く 穏やかな日々を過ごす
7世紀
周辺国同様 バーレーンにもイスラム教文化が浸透する
16世紀
バーレーンは 一時ポルトガルに占領されるが
ポルトガルは すぐにペルシャ(イラン)に追い出され
今度はペルシャがバーレーンの地を占領することとなる
次いてアラブ人とペルシャ人の領土争いへと発展する
18世紀
隣国カタールから現バーレーン王朝のハリファ家が引っ越してくる
ペルシャ人を追い出しハリファ家がバーレーンを支配するが しかし
その後すぐバーレーンは隣国オマーンに占領されてしまう
カタールに逃げ帰ったハリファ家はイギリスに助けを求めるが
中東に入ったイギリスは中東全体を植民地支配してしまう
20世紀
中東近辺でバーレーンが初めて石油の歳出に成功する
第2次大戦でイギリスは すっかり国力を落とす。
戦後20年以上がたった1971年バーレーンは やっとイギリスから独立した
1バーレーンの基本情報
2バーレーンの歴史
3バーレーンの観光名所
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