11トルコ南部の名所(クズカレスィ カシュ タシュカレ)
トルコ東部 メルシィー地区に位置する
12世紀に築かれた地中海に浮かぶ砦
海岸沿いの遺跡は もっと古く紀元前4~3世紀の物
ほかの遺跡から資材を調達し築かれた
メルシィー地区には ほかにも200以上の遺跡が点在している
シリア国境近くにある人口52万の町
紀元前3000~紀元前2000に栄えた
トルコ最大の考古学博物館
紀元前3~2世紀に建てられた ヒッタイト遺跡の一つで高さ10~15メートルの柱が25本も建てれてていた。
最も高い柱は17メールになる
アブラハムが生まれた場所度とされている
アブラハムが立ち寄ったとされる集落
1万年前~9000年前の遺跡
メソポタミア人の狩りの様子などの壁画が残されている
シリア国境の近く
色鮮やかなモザイク画が展示されている
565年 ビザンツ時代に建てられた
長さ1.2キロの城壁の周りには36本の塔が建っている
シリア パルミア遺跡からの発掘品を展示している
地中海沿いの小さな港町 多くの民家が断崖に建てられている
レストランの改装工事中 床が抜け落ちそこからビザンチン帝国よりも古いキュア文明の貯水池遺跡が出てきた。
海底からは女神以外に 300年前にエジプトから荷物を運びやって来て海に沈んだ沈没船が見つかっている
この辺りは潮の流れが速いため 昔はよく船が沈んだ
多くの船はエフェス(トルコ西部)を目指していた。
シーカヤックに乗ってリキュア遺跡を見に行く
海の上に浮かぶ四角いコンクリートの塊は 度重なる地震で沈みかけたリキュア遺跡の棺 もともとは高台に置かれていた
棺の中からは貴金属の装飾品が見つかっている
透き通った海の下には港の遺跡も見える
遺跡は1~2世紀 リキュア王国が栄えていたころの物
リキュアは交易以外に造船業や漁業でも栄えていた。
風のない入り江の環境が船の修理と造船業に向いていた
5世紀には大地震が起こったが 当時使われていた防波堤は当時の形を残したまま海に沈んでいる
野外劇場では声が響いた
四角い塔のようなのような建物にも棺のようなものが置かれていた
リキュアの男性は髪を伸ばしていた。
ほかの国の王がリキュア人に成りすますため髪の長いかつらをかぶった様子が塔の上の墓の絵に残っている
円形劇場や岩窟墓が残っている
聖ニコラスはトルコ発祥のサンタクロースのモデルとなった。
聖ニコラスの姿が描かれたフレスコ画が残っている
青の洞窟がある
エーゲ海でとれる幻の高級魚
肉厚の白身魚で 大きいものは1.5メートルもある
ただ10~20センチくらいのものが最もおいしい
トルコ南部のフェティエで水揚げされる
クエの仲間の巨大高級魚ラオスが水揚げされる
トルコの一か月分の生活費に相当する一匹8000円で取引される
レストランで出されるラオスの塩焼きは一切れ1740円
一匹の大きさは1メートルもある
ラオス漁は小舟の中で寝泊まりして行う
ただ網を破ってしまうイルカは漁師の天敵となる
海底には6~9世紀ごろのビザンチン帝国時代の遺跡が沈んでいる
しかし海底の遺跡も網が破れる原因となる
カシュの隣の町 ここにもリキュアの遺跡がある
岩山にはボコボコと穴が開いている
リキュア民族の形で掘られた墓
民家は杉の木を利用して建てられている
実はサンタクロースはリキュア出身だった
3世紀 リキュア同盟の一人の聖職者がサンタのモデルになったと言われている その聖職者の名はニコラウス
ニコラウスは嫁入り持参金の出せない貧しい家にコインを投げ入れた。との逸話が残っている
ミュラには年末だけでなく年中 サンタ用品が売られている
長さ20キロのロングビーチがある
紀元前2世紀ごろの遺跡
当時 32の村や町が同盟を結んでいた
各議長は円形議会所に集まり 様々な決まりを決めた
議長の任期は1年
軍人を除く すべての人が政治に参加できた。
世界で初めて行われた民主的な政治だと言われている
パタラでは その後 1100年間 戦争が起こらない平和な街だった
5階建てのビルに相当する高さの断崖に無数の穴が開いている
断崖には251の穴があけられ穴の中では昔 麦を保管していた。
中はひんやりしていて麦を保管するのに最適だった。
高い場所は盗難防止にも役立った 一説には その保管庫は2000年前から使われていたと言われている
町の起源は紀元前1500年ごろのヒッタイトの時代にある
様々な時代からなる数多くに遺跡が出土している
アイゲアイ遺跡から出土したモザイク画やヒッタイト王のクンタの像などを展示している
市場と名のついたモスク 16世紀初頭に建てられた歴史ある建物
博物館を改築した教会
和歌山県 串本町に建つオスマン帝国海軍遭難慰霊碑と同じものが建っている
シルクロードの中継地として
世界史に何度も登場する歴史上重要な場所
20世紀初頭はシリアと一緒にフランスの植民地に組み込まれていた。
シリア系住民も多くシリア鉛のアラビア語がよく通じる
ヒッタイト時代の優れた品を多く展示している
アンタクヤ郊外 ダフネで見つかったヤクトのモザイク画を展示している
ローマ時代にはゼバスティアと呼ばれていた。
ドクターフィッシュの入浴施設
青緑のタイルで建造された建物
世界遺産に登録されている小さな町 ヒッタイト時代の製鉄所跡がある
装飾の美しいクレブ門 ダーリュッシファー
メブラーナ(セマーともいう 別名イスラム神秘教)はトルコ南部の特殊な宗教
大きなスカートをはいてグルグルと回りながら踊る儀式が特徴
<目次>
1カッパドキア1(奇岩群+渓谷&女性ミイラ)
2カッパドキア2(地下都市&住居ホテル+陶器)
3カッパドキア3(岩窟教会+壁画&鳩の飼育)
4カッパドキア4(地下ワイナリー&カイセリ+エルジェス山)
5アンカラ(アナトリア高原 トゥズ湖)
6コンヤ(チャタルホユック遺跡)
7アララト山とクルド人問題
8ネムルト山と周辺の遺跡(トルコ東部)
9トラブゾン(スメラ修道院)ボアズカレとエディルネ
10サクランボル(北)とニクサル(東)
11トルコ南部の名所(クズカレスィ カシュ タシュカレ)
コメントを残す