8ネムルト山と周辺の遺跡(トルコ東部)
山頂には首から下のない頭だけの石像がゴロゴロ転がっている
地震で転げ落ちたとされている
標高2150メートル
この辺りには今もなお かつてこの辺りを支配したアレクサンダー大王(ギリシャ系)の子孫が暮らしている。
2000年前に栄えた王国が山のふもとに遺跡を残した。
祭壇にはアジアで信仰されたさまざまな神が祀られていた
太陽神ニトラも頭から光を放っていた ギリシャ人から見ればゼウス
しかしアジア人(ペルシャ人)から見れば太陽神ミトラに見えるように作られた
またこの辺りは1日の気温差が激しい地域でもある
山頂へ上るなら5月~10月がベストシーズンとなる
冬になると凍結し雪が降る事もある
遺跡の向こうから日が昇る日の出ツアーなどが出ている
東と西にそれぞれ朝日と夕日に染まる石像が建てられている
カラクシュの石柱 一番上にはわしの石像他乗っている
200年頃 10キロ離れたところから運ばれてきた石材で作られた橋
山のふもとには長さ158メートルのトンネガがある
5300年前の世界最古の鉄製刀が発見された場所
トルコで1番 世界でも7番目に大きなダム
一見ただの岩山に見えるがれっきとした城塞
19世紀 ネムルト山を越えたドイツ兵が偶然ネウレットダウ遺跡を発見する。
場所はトルコだが遺跡はペルシャとギリシャの混合となる
山のふもとには9つの それぞれ違った神々の像がある
紀元前4世紀 ギリシャ マケドニア出身の王 アレクサンダー大王はイランやトルコのあたりを占領し大帝国を建国する
大王の死後 帝国は分裂しコンマゲネ王国(小国家)が建国された
紀元前1世紀 コンマゲネ王国が築いた円すい形の王墓遺跡が築かれた。
コンマゲネ王国は もともとペルシャ(現イラン)の支配下にあったが その後 マケドニア(ギリシャ系)の支配下に置かれる。
小国コンマゲネ王国は2つの大国の血縁関係を保つことで独立を維持してきた。そのため遺跡にもギリシャとペルシャの両方のデザインが組み込まれた。
ネウレットダウ遺跡は小さな石を50メートルの高さまで積み上げ その上にお墓作った。
その人口小山を超えた向こう側に石像群が作られた。
足元にはいくつかの顔が転がっている
地震の際 頭部分だけが転げ落ちたと考えられている
頭を胴体と合わせると高さが7メートル以上ある
石像はゼウスやアポロンと言ったギリシャ神話に登場する神々
しかし中にはギリシャ人のアゴヒゲにペルシャ人(イラン)のとんがり帽子をかぶった石像もある
その とんがり帽子はイランのペルセポリス遺跡でも見ることが出来る
堀の深い顔つきのポセイドン そのポセイドンの顔には見事なアゴヒゲを蓄えている しかしポセイドン(ギリシャ人)の頭にもイラン(ペルシャ)の とんがり帽子がかぶせられていた。
名前もヘラクレスとアルダグネスの2通りある
レリーフにはバビロニアの民が彫られていた。
この地方がブドウの産地であったことを示すブドウの壁画も残っている
またこの遺跡はコンマネ帝国の夏の離宮として使われた
1953年に始まった調査は今も続いている
紀元前1世紀 コンマゲネ王国のアンティオコス1世の墓
アンティオコス1世の死後 それらの建物は人々から2000年以上 忘れ去られることとなった
共同墓地 折檻からはモザイク画が発見されている
人口100万 町はコンスタンティノス1世によって築かれた。
町は全長5.5キロの城壁に囲まれている
歴史上26の王朝が派遣を取り合った場所でもある
伝統の銅食器 古くなった胴をよみがえらせる
先端がとがった形をした国境の山
マルディンとは古代シリア語で城壁と言う意味
現在の住民はアラブ人やクルド人と言ったイスラム教徒が大半を占めている。
しかし7世紀にイスラム教徒が入ってくるまではキリスト教徒の町だった
今でも古い教会がいくつか残っている
日曜日 教会には多くのアッシリア人がお参りに集まる
アッシリア人の多くは第1次大戦の混乱時期 ヨーロッパやアメリカへ引っ越していった
現在マルディンに残るアッシリア人は70家族 300人程度
シリア カトリック教会を改築した博物館
569年に建てられた教会 40人の殉教者の骨が埋葬されている
町のはずれの丘の上に建つ修道院 アッシリア人にとって大切な場所となる
現在修道院には親を亡くした孤児が暮らしている
子供たちは ここで礼拝に欠かせない古代シリア語を学んでいる
397年に建てられた修道院
ダムに沈んだ村 11~12世紀に建てられた橋など歴史的に価値のあるものは高台へ移転された。
紀元前の遺跡 この地を巡りペルシャと東ローマ帝国が争った
チグリス川には12世紀に靴られた橋の土台が残るのみ
5本の柱で支えられたアーチ状の美しい橋
このあたりには崖をくりぬいて作られた洞窟が4000以上あり
崖の上には今も城や宮殿の後が多く残っている
ただ 発掘は始まったばかりで多くはまだわかっていない。
今も2000年前に掘られた洞窟の中では人が暮らしている。
しかし将来ハサンキエフは新たに建設中のダムの底へ沈んでしまう。
湖には巨大生物ワンジャーヴァル van canavariが生息している
紀元前825年 高度な文明を持ったウラルトゥ王国によって建てられたお城
城内には岩を掘って作られた紀元前9世紀の墓も残っている
915~921年に建てられたアルメニア教会
紀元前760年~紀元前730年 ウラルトゥ王国の王によって建てられたお城
高さ15~20メートルの幅の広い滝
ビュルヤン ケバブ buryan kebabiは
床下の窯の中で焼き上げた羊の塊 トルコ東部 タトワンの名物
エメナルドグリーンのカルデラ湖
17~18世紀にかけて作られた幾何学模様が刻まれた墓石
アッシリア人はメソポタミア北部を起源とする古代オリエントを起源としたアッシリア帝国の祖先たち
キリスト教のシリア正教を信仰しアラブ語に近い古代シリア語を話す
古代シリア語はアラブ語が登場する以前 古代オリエントの公用語として広く使われていた。しかし現在は絶滅しかけている言語のひとつ
1933年 シリア正教の総司教の場所はトルコからシリアのダマスカスに移された
<目次>
1カッパドキア1(奇岩群+渓谷&女性ミイラ)
2カッパドキア2(地下都市&住居ホテル+陶器)
3カッパドキア3(岩窟教会+壁画&鳩の飼育)
4カッパドキア4(地下ワイナリー&カイセリ+エルジェス山)
5アンカラ(アナトリア高原 トゥズ湖)
6コンヤ(チャタルホユック遺跡)
7アララト山とクルド人問題
8ネムルト山と周辺の遺跡(トルコ東部)
9トラブゾン(スメラ修道院)ボアズカレとエディルネ
10サクランボル(北)とニクサル(東)
11トルコ南部の名所(クズカレスィ カシュ タシュカレ)
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