中国史(一部のみ)
1 まずは中国の基本情報からお伝えします。 |
国内に52か所の世界遺産※2017年現在
紀元前3000年ころ小麦栽培が始まった 1400年前のギョーザの化石も発見された
中国3大発明 紙 絹 磁石
長城の長さは5万キロ 地球一周よりも長い 8851キロメートル 建設作業員は100万人以上
長江 全長6300キロ 7000年前にもうすでに長江流域で稲作や酒造りが行われていた
毎年5億トンの土砂を運ぶ 土砂が中州を形成する
長江デルタ7000年前から稲作が行われ6000年以上前に動物の骨で作ったスキが発見されている
長江には全部で156本の橋が架かっている 長江は中国国内の淡水の40パーセントを占める
揚子江水イルカ(白色)三峡ダムが完成し水位が170メートルに上昇 長江の水位は年々高くなっている
14~15世紀 景徳鎮などこの時代の焼き物が有名
明代 永楽帝の鄭和(ていわ)の話 出身は雲南省 実はイスラム教徒
時代は ちょうど元から明に移る所で 鄭和は明にとらわれ(かんがん)にされる かんがん=貴族のめしつかい 結婚は禁止
鄭和は航海術に優れていた人物で計7回の大遠征を行った
東南アジアやアラビア半島を回り 最終的にはアフリカ ケニアまで到達した。
50~100メートル越えの船を60隻 使用し 2万人が移動したと言う話もある
当時 皇帝は海外貿易で儲けたお金持ちが反乱を起こすのを恐れた
そこで1371年 海禁令が出される これは海外貿易で儲けていた人を制限する海外貿易禁止の法令
この法令が きっかけとなり明で海外貿易していた人が海外へに移住し
それが東南アジアで華僑となったとされている
当時 明朝では まだ朝貢貿易(ちょうこう) 明の周辺国の王朝が明の皇帝に貢物を送り 王朝の存続を保証した。
明も また自らの財力を周辺王朝に見せつけるため それ以上のお返しをした。
それが朝貢貿易と言われた。
ときの皇帝 永楽帝は東アジアの朝貢貿易をやりたくて鄭和を起用し航海に行かせた。
ただ詳しい航海の記録は文化大革命の時かなにかで焼けてしまって残っていない
ちなみに羅針盤(方位磁石)は中国で発明され航海するときに大いに役立った。
漁師が水中に入れる網は届かなくなってしまった 水位の上昇でかつて山だったところは島となった
水位が上昇した影響で大型船の運航が可能になった 大型船は労働者の利用が多い
遣唐使も長江の川下りをし流域の様々な文化を持ち帰った
その他 陶器や土木も優れていた
(ニュース)56歳男 武漢から上海まで1200キロを泳いで行く
西太后(清朝の時の傲慢な女帝)は毒殺された 明・清王朝の皇帝墓群(中国各地にある)地下宮殿 過去に盗掘された
黄河 中国で2番目 世界でも5番目に大きな大河
清朝 初代皇帝 ヌルハチ 全12代皇帝 ラストエンペラーは溥儀
中国 23王朝 |
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