5西暦5~6世紀 日本は古墳 中国は石窟時代
5世紀前期~中期
5世紀前期~中期 今の大阪に全長100メートル以上の仁徳凌が造られる
5世紀頃
5世紀~8世紀 クムトラ千仏洞(クチャ) キジ国の仏教遺跡
5世紀頃 秀巴Xiuba千年古堡(四川省) 丹巴と同じ形の碉楼
5世紀 五台山(山西省) 北魏の時代 五台山に大浮図寺(だうふとじ)が建設され それ以降 五台山に山岳寺院が多く建てられていった
420年ごろ
中国甘粛省に炳霊寺(へいれいじ)石窟が彫られ始める 石窟は5世紀(五胡十六国時代の時代)から清代まで1400年かけて造られた
石窟は現在 ダムの下にあるため1年に1か月しか見ることができない
427年
高句麗は都を中朝国境から平壌(郊外)に移す。その80年後 都を平壌市内(現 北朝鮮の首都)へと移す
413年~427年 統万城とうまんじょう(陝西省の遺跡) 五胡十六国(末期)の夏王朝が建設
450年 トルファン(ワインの産地)の車師国(交河古城)が滅び 高昌国(高昌古城)が立ち上がる
アスターナ古墓群(トルファン) 高昌国から唐代にかけての墓地遺跡
460年
北魏の時代 中国3大石窟の一つ雲岡石窟が山西省の大同に作られる
475年
高句麗は百済を攻め滅ぼし 漢城(現ソウル)を占領する
5世紀末(建造)
中国 吉林省 集安にある高句麗遺跡の王墓 将軍墳 近くには高句麗第19代皇帝をたたえた好太王碑(石碑)がある
491年 懸空寺(山西省 大同郊外) 北魏の頃 建設が始まった 岸壁の中腹に造られた仏教 道教 儒教からなる寺院群
493年 北魏は都を洛陽に移し龍門石窟を作り出す 石窟は完成するまでに400年以上かかった
6世紀~11世紀 ベゼクリク千仏洞(トルファン) 高昌国時代の作られた仏教遺跡 のちの時代 イスラム教徒の破壊を受け さらに欧米探検家の盗掘被害を受けている
現在ベゼクリク千仏洞の壁画の多くはドイツの博物館に展示されている イギリスやインド 日本や韓国の博物館にも展示されている
6世紀
中国で300年続いた戦乱が終わる
ゾロアスター教を信仰していたソグド人がシルクロード貿易の主役を担っていた。
6世紀 中国甘粛省 張掖に馬蹄寺石窟が造られる
520年 嵩岳寺塔すうがくじとう(河南省) 高さ40メートル 北魏時代のレンガ作りの仏塔
527年
倭国(日本)の大和朝廷軍が朝鮮半島(韓国 北朝鮮)へと責めるが新羅の軍に打ち砕かれ敗北する
530年
朝鮮南部の新羅に仏教が伝わる
534年
中国山西省 大同に都を構えた北魏王朝は河北平原を統一した後 滅びた その後も洛陽の竜門石窟は掘り続けられた
6世紀中ごろ 敦煌莫高窟の壁画はインド風の造りから中国風に変わっていった
551年ごろ 6世紀後半 幕田峪長城(北京郊外) 北斉が建設 15世紀 明代に改築
551年 建築 蒙山大仏(山西省 太原) 高さ12メートル 中国最古の大仏とも言われている
554年
女帝 推古天皇が即位する
日本で初めて女性天皇が誕生する 以降 10人の女性天皇が誕生している
ただ政治の実権は推古天皇の甥の聖徳太子が握っていた
558年
中国より約500年起これて日本に仏教が伝わる 欽明天皇に金の仏像が送られてきたのが始まり 日本には その時代 もうすでに神道と言う日本独自の宗教が存在していた。
558年
インド人で中国大陸に仏教を伝えた僧侶の一人 達磨(だるま)が日本を訪れ聖徳太子と会う※少林寺の洞窟に達磨の象が残っている
581年
隋王朝が誕生し都は長安(西安)に定める 360年ぶりの中国統一王朝となる
隋王朝の頃 長安の都市造りが開始された
敦煌 莫高窟は増設され 壁画はインド風から中国風に作り替えられた
589年 隋王朝の元で 莫高窟の増設が行われた 38年間で100の窟を増設した
592年
倭国(日本)では飛鳥時代が始まる 飛鳥時代になると古墳は作られなくなり 代わりに寺院が多く作られるようになる 都は奈良に置かれた
6世紀末
日本では聖徳太子が活躍し 中国大陸の隋に遣隋使を派遣した。
593年
飛鳥時代の倭国(日本) 今の広島に厳島神社が建てられた
6世紀末から7世紀(598年~614年)にかけ
高句麗は計4回も隋(中国)の攻撃を受ける 隋は一時 首都 平壌まで迫るが すべて退けられる
<目次>
1紀元前40世紀より前 氷河期 石器時代
2紀元前40世紀以降 中国王朝の誕生
3紀元前3世紀以降 秦の始皇帝(中国初の統一王朝)~前漢時代
4西暦1~4 世紀 中国 三国志時代
5西暦5~6世紀 日本は古墳 中国は石窟時代
6西暦7世紀 朝鮮は初めて中国は久々の統一王朝が誕生する
7西暦8~9世紀 シルクロード唐と吐蕃の時代
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