7西暦18世紀 清の全盛期 領土拡大
18世紀(1701年~1800年) |
18世紀 鳳凰(湖南省) 清代 漢民族が築いた水辺の古民家
18世紀 済州石文化公園 李氏朝鮮時代 韓国チェジュ島の小型モアイ像群
1709年 ラプラン寺(甘粛省) チベット寺院 文化大革命で大きな被害を受けた 毎年2月にタンカ祭りが開かれる
日本の徳川幕府 8代将軍に 和歌山県 紀州から来た徳川吉宗がなる
8代将軍は貧しい病人や年寄りでも無料で治療を受けられる施設を建設する
さらに消防団を結成し人々に大いに役立った。
清がチベットに軍を派遣させ 清が正当な王とは別にダライ・ラマ6世を建てる
清はチベットへ軍を派遣し チベットを清の保護国にした。
清は ロシア ウラジオストク ハバロフスクとモンゴル全土 キルギス共和国 カザフスタン アフガニスタン タジキスタン ミャンマー北部 インド北部 を含む東洋の半分は清国の支配下となった
清はロシアに占領されないようにモンゴル高原に漢民族を移住させた。
チベットは清朝の支配下に入る しかし実効支配には至っていなかった
清とモンゴル系オルラト人の間で清ジュンガル戦争が起こる 結果 ジュンガル帝国(今の北ウイグル)は清朝に滅ぼされる
同年 モンゴルは清の領土に組み込まれる
1755年 ノルブリンカ(チベット ラサ) 罗布林卡公园 ダライ・ラマ7世が建設した夏の宮殿 1959年 ダライ・ラマ14世はこの宮殿からインドへ亡命した。
江戸時代の日本では 東北危機が発生し 天候不順により飢饉が多発した 飢餓は全国に拡大した
ビルマ(ミャンマー)の戦争に敗北したシャン族(タイ系民族)が中国へ行き清朝に助けを求めたため清緬戦争(中国VSミャンマー)が勃発した。
戦闘は清朝の4度の進行を すべて退きコンパウン王朝(ミャンマー)の勝利で終わった
ターヘルアナトリア(オランダの医学本)をもとに作った解体新書(日本語版)が ついに完成した それにより日本の医学は飛躍的に進歩した
江戸時代の日本では 天明の大飢饉が発生 仙台藩では30万 南部藩では6万4千人が疫病に掛かったり飢え死にした
しかし亡くなったのは農民が大多数で役人は死ななかったと伝えられている
江戸時代の日本では大飢饉に追い打ちをかけるように浅間山(長野)が大噴火を起こした 江戸の町にも火山灰が降り積もった
火山灰は大気で浮遊し太陽光を遮り凶作の原因にもなった そして米の値段が4~5倍に跳ね上がった
ネパール王国はチベットとの間に貿易(領土侵犯)で もめ事となり衝突が発生した。
チベットの宗主国 清朝(中国)が もめ事に介入し 清 ネパール戦争へと発展する
結果 清朝(中国)の勝利 その後 ネパールは清の属国となった
またこの戦いで清はチベットでの影響力を高めた
江戸時代の北海道(日本)で アイヌ人(日本の少数民族)が支配者の和人(日本人)に対してクナシリ・メナシの戦い を起こす。が またしても鎮圧されてしまう
1790年 避暑山荘(河北省) 清朝の離宮 着工から87年を得て完成 普陀宗乗之廟(ポカラ宮殿に似せて作った建物) 外八廟など豪華な寺院が建ち並ぶ
1791年
李氏朝鮮でカトリック弾圧事件が起こる カトリック信者数万人が犠牲になった。その後もカトリック弾圧は断続的に行われた
ロシアの使節ラックスマンが乗った船が根室を通り北海道の一番東から北海道の一番西の松前(函館)に貿易を求めて やって来た
当時 まだ鎖国を行っていた江戸幕府はそのロシア船を追い返した。
1796年
水原城(水原華城) 建設 李氏朝鮮 全盛期に建てられた
1798年
ロシアの脅威に感じた江戸幕府は当時まだ未開の地だった北海道の守りを固めた
そこで幕府は日本人を北海道の択捉島(えとろふとう=北方領土)に移住させた。
<目次>
1西暦10~12世紀 日本は初めて朝鮮は2度目の統一王朝誕生
2西暦13世紀 モンゴル帝国時代
3西暦14世紀 ①室町② 明③ 李氏朝鮮が 誕生
4西暦15世紀 日本内戦勃発 応仁の乱
5西暦16世紀 大航海時代(1回目) 秀吉の朝鮮出兵
6西暦17世紀 ①江戸幕府②清が誕生
7西暦18世紀 清の全盛期 領土拡大
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