7西暦20世紀⑤ 韓国軍事政権 文化大革命 東京オリンピック(1回目)
20世紀(1960年~1980年) |
1960年4月19日と1961年
韓国では学生デモを発端として政権は崩壊し(四月革命)独裁政治を行っていた韓国初代独裁者 李承晩(リスンマン)はハワイへ亡命した。
1961年 韓国では軍事クーデターが発生し政権交代が起こる
朴正煕(パクチョンヒ)は大統領選挙を廃止し15年近く韓国の2代目独裁者を務めた
韓国は軍事政権下で日本と良好関係にあった
パクチョンヒは軍事政権下で国民を弾圧しながらも韓国経済だけは発展させた
イギリス人が勝手に引いたインドとチベットの国境線が原因となり 中印国境紛争(インドVS中国)が勃発する。戦争の結果は中国が勝利し
中国がインドとパキスタンの間のカシミール地方の一部を実効支配する
1963年 黒部ダム(富山県) 黒部渓谷トロッコ
1964年
東京オリンピック開催
日本の高速鉄道 東海道新幹線が開通
文化大革命(中国内乱)の発生
国家主席の座を失った毛沢東が紅衛兵(学生)らを使い内乱を起こす ギャング集団と化した紅衛兵が街で暴れまくった
チベットにおいては実に99%の寺院は紅衛兵によって破壊された
紅衛兵同士の衝突もあり そこで殺人も行われたが警察は一切 手を出すことが出来なかった
文化大革命で殺害された遺体が当時イギリス領であった香港へ次々と流れ着いた
3年後 毛沢東が国家主席の座を取り戻したことにより文化大革命(内乱)は終わった
文化大革命では50万の人が処刑された
最高権威の座を取り戻した毛沢東にとって紅衛兵は必要なくなる そのため 1000万人の紅衛兵が農村へと追いやられた
1965年
日本と韓国の間で国交が結ばれる
1966年
日本の人口が1億を突破した 約10年前に始まった高度経済成長は続き いざなぎ景気と呼ばれた 景気が過熱する一方で公害問題も発生した
1966年 マカオで一二・三事件が発生する
事件はマカオ在住の中国共産党支持者とマカオを統治するポルトガル人との間で起きた衝突が事の発端となった
中国の軍事介入を恐れたポルトガルが屈服する形で事態は収拾した。
以降 マカオは表向きにはポルトガル統治だが 実際は中国共産党の影響下に置かれる事となる それまでマカオで活動してきた台湾のスパイ組織が撤退させられた
中国四川省で森林伐採をしていたところ たまたま九塞溝が発見される 九塞溝が人々に知られ有名になるのは発見の20~30年後となる
1968年
日本の国内総生産(GDP)は西ドイツを抜き世界第2位になる※1位はアメリカ※
(同年) 東京都 小笠原諸島がアメリカから返還される
1968年
パクチョンヒ暗殺未遂事件が発生する 韓国軍の軍服を着た北朝鮮兵が韓国大統領官邸前に来た
そこで北朝鮮軍と韓国警察部隊との間で大銃撃戦が繰り広げられる
1969年 忠烈(台湾 台北) 国民党が建てた戦死者を祀る祠 日本統治時代 大きな神社が建てられていたが 台湾建国後に その神社を取り壊して建てられた
1969年 瀋陽 中山広場 毛沢東像 日本統治時代には同じところに日露戦争戦勝記念碑が建っていた
1970年
日本赤軍(日本のテロ組織)による よど号ハイジャック事件発生
犯人たちはハイジャックした飛行機に乗り北朝鮮へと亡命した 現在も隔離された場所に一軒家が与えられ北朝鮮政府の支援のもと割といい生活をしている
1970年
コザ暴動が発生しアメリカ軍と沖縄住民が直接衝突した
さらに沖縄では米軍基地撤去を訴えたストライキが発生した。戦後最大の10万人以上が参加した。
日本の国会では沖縄の米軍基地の問題には何も触れないまま沖縄返還の強行採決が行われた
1972年
沖縄は米軍基地を残したまま 27年ぶりに本土復帰を果たした
日本では祝賀ムードだったのに対して 沖縄では返還内容に不満があり抗議する人のデモが起こった
現在 日本全体の米軍基地のうち75%が沖縄に集中している
その後の選挙により与党 自民党が圧勝した その結果 沖縄の人の基地をなくしたいとの思いは日本政府と日本国民に受け入れられなかった
その20年後に沖縄と同じようにアメリカから独立を果たしたパラオもミクロネシアも島内に米軍基地を残したままの独立している
1972年
総理大臣に就任した田中角栄は日本列島改造論と言う本を出版する
1972年
ソ連フルシチョフのスターリン批判を切っ掛けに中国とソ連の関係が悪化し それを切っ掛けにソ連と仲の悪かったアメリカは中国に急接近した。
アメリカが先に中国と国交を結んだ
続いて日本も中国 北京にて日中国交正常化が行われた
その時 尖閣諸島等の領土問題は中国側の意向により棚上げされた。
1973年
第1次オイルショック
景気低迷に伴い日本銀行は超金融緩和(国債の発行額が増える=紙幣の量が増える)を行い 結果 インフレを招いた
1975年
田部井淳子(日本人の登山家)が女性としては世界で初めてエベレスト登山に成功する
蒋介石が亡くなる その後 台湾総統は次々と入れ替わる
蒋介石の遺体は台湾北部の桃園県大渓鎮に液体付けとなって保存されている。
毛沢東は82歳で死去 それに伴い 中国国内の混乱も ようやく終わった また毛沢東が亡くなったことでソ連との関係も改善された
北京 天安門広場の毛沢東主席記念堂(遺体が安置されている)北京
1977年
日本国内や海外で北朝鮮工作員(スパイ)の活動が活発になり日本人を北朝鮮へ連れ去る事件(日本人拉致問題)が多発する。
1977年
ダッカ日航機ハイジャック事件が起こる 日本赤軍(日本のテロ組織)が起こした事件
身代金600万ドル(16億5千万円)と赤軍メンバーの釈放と引き換えに人質 約150人を全員 解放した
ハイジャック犯と釈放犯は大金を手にしアルジェリアへ逃亡した。
日本は海外にテロ犯を野放しにしたと非難を浴びた。
日本政府はテロ犯の要求をすべて飲むという今では考えられない失態を犯した。
鄧小平が政権の座に復活した 改革開放路線(合理的な経済政策)を取った中国は飛躍的に発展する だが鄧小平はトップに立たず裏番長を務めることとなる
翌年 人民公社は解体され 生産請負制を導入する 各自で作った農作物は自由に売ることが出来るようになった
それにより農民の意欲向上が図られ収穫量は飛躍的に増えた
秘境に作られた中国とパキスタンを結ぶ7000キロの道 カラコルムハイウェイが完成する
カラコルムハイウェイは中国とパキスタンが共同で20年かけて作った道 建設中に中国人80人 パキスタン人800人が亡くなっている
1979年
イラン革命が原因で第2次オイルショックが起こる
日本は需要を抑える(節約を行う)ことで この危機を乗り越えた
1979年
朴正煕(パクチョンヒ)は側近の中央情報部長により暗殺される
韓国では独裁者の死により規制が説かれソウルの春(民主革命)が到来した
しかし同年 またしても軍事クーデターが発生し また軍事政権に逆戻りした
1979年~1980年
①厦門(福建省) ②仙頭 ③珠海 ④深セン(広東省)
4つの経済特区を設外国人企業を誘致した
1979年中国で人口抑制のために 漢民族に対し一人っ子政策を実行する※少数民族に対しては規制がない また漢民族も地方によっては賄賂や罰金を払い2人目まで生むところもある
罰金の値段は場所によって大きな開きがある(一人っ子政策は2015年に終了となる)
中越戦争(中国とベトナムの紛争)が起こる
ポルポト(カンボジア)と同盟関係にあった中国はベトナムのカンボジア侵攻に対して報復攻撃を仕掛ける そこに中越戦争が勃発した。
中国人民解放軍20万がベトナムの領土へ進行するが返り討ちに会い大量の戦死者を出したまま撤退する 中国軍の死者2万人に対してベトナム軍は7千人であった
1980年
光州事件が起こる 光州で学生らを中心とした民主化デモが起こる それを軍事政権が鎮圧し死者154人を出す大惨事となった
1980年 中正記念堂(台湾 台北) 蒋介石が亡くなったあと追悼の意を込めて建てられた
<目次>
1西暦19世紀ー前半ー 欧米列強の侵略時代
2西暦19世紀ー後半ー 日清戦争 日本 台湾と朝鮮併合
3西暦20世紀① 日露戦争 辛亥革命
4西暦20世紀② 日中戦争 第二次世界大戦
5西暦20世紀③ 東京大空襲 広島長崎原爆投下
6西暦20世紀④ 中国国共内戦 朝鮮戦争
7西暦20世紀⑤ 韓国軍事政権 文化大革命 東京オリンピック(1回目)
8西暦20世紀⑥ 天安門事件 北朝鮮テロ事件多発 ソウルオリンピック
9西暦21世紀 東日本大震災 尖閣竹島問題 北京オリンピック
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