3ヘルシンキ
ーーヘルシンキ ロシアのサンクトペテルブルクに似た町だとも言われている
海を挟んで隣国エストニアのタリンまで約80キロ
交通機関は充実しているが町自体それほど大きくない ゆっくり歩いて見て回っても2日あれば十分
(ヘルシンキ大聖堂)1852年 30年の歳月をかけ建てられた
(天老院広場)スウェーデン人が600~650年間 使用し その後100年間ロシア人が使用した
19世紀 帝政ロシア(ソビエト以前の国)のフィンランド統治が始まるとヘルシンキの開発に乗り出す。
大聖堂の前の広場は40万個の石を積み重ねられその上にアレキサンドロス2世(ロシア人)の銅像が建てられた
今でもアレキサンドロス2世(ロシア人)の銅像が立っている 広場は1852年 30年の歳月を費やし作られた
アレキサンドロス(帝政ロシアの皇帝)はフィンランドで評価の高い
(ルチア祭)毎年12月13日 エスプラナーディ公園やヘルシンキ大聖堂で行われるクリスマスのイベント
(アテネウム美術館)19世紀の美術品を収容している
(ウスペンスキー寺院)1868年完成 ロシア人建築家が建築 煉瓦造りのロシア正教会の寺院
祭壇の上にはフィンランドの象徴 熊の像が建っている キリスト12使徒
(テンペリアウキオ教会)1969年 完成 岩壁で出来た緑のドーム屋根の大きな教会
天然の岩山をくりぬいて作られた教会 180のガラス窓 音響効果にも優れていて しばしばコンサートも開かれている
(スオメンリンナの要塞)18世紀の中頃 スウェーデンとロシアはバルト海の利権をめぐり争っていた
そのころスウェーデンがロシアの脅威に備えて40年かけて作った要塞
ヘルシンキの沖合では狭い海峡に大型船が通っていた 要塞はのちに海外の絵画にも描かれた
1948年スウェーデンはヘルシンキの沖合の島を要塞化した 建設は6つの島に及んだ
6つの島は城壁で囲まれ島と島をつなぐ橋が建設された さらに地下通路も整備された 麦を蓄える倉庫やパン焼き釜が作られた
兵士は多いときで1万人 大砲を700台設置した
しかし帝政ロシア軍は海側の要塞を避け後方の陸地から攻めたため要塞も大砲も一度も使われることはなくヘルシンキは陥落した
帝政ロシアに占領された要塞には さらに大きな大砲が要塞の上に築かれ そして無用となった要塞の城壁は瓦礫となった
以後 120年間 要塞は帝政ロシアがフィンランド人ににらみを利かせるために使用される
ロシア革命の混乱時 フィンランドは めでたく独立する その要塞はスオメンリンナの要塞(フィンランドの城)と改名された
(赤い路面電車)夕方までの6時に登場 中はパブになっている
(キングスゲート)40年の歳月をかけて作られた城壁(又は要塞)
(シベリウス公園)音楽家ジャンシベウスがテーマとなった公園 1899年 ロシアの圧制に抗議する音楽が作られた
(聖ルチア祭)12月13日 北欧各国で行われる祭り ちなみに蝋燭の使用量はフィンランドが世界一
(奥さん運び大会)毎年7月に開催される 優勝者には奥さんの同じ主さだけのビールが送られる
そのほかサウナ我慢大会も開かれている
<もくじ>
1基本情報
2歴史
3ヘルシンキ
4サンタ村
5トゥルクとムーミン谷ほか
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