ハワイアン温泉(福島)2 かつて本物のハワイ旅行は高嶺の花だった!
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今からおよそ60年前の1950年ごろ戦後 間もない日本では隣の国で起きた朝鮮戦争がきっかけとなり好景気に沸いていました。
なぜなら そのときその戦争に参戦していたアメリカ軍が日本から大量の物資を買っていたため日本に空前の好景気が訪れたのでした。
そして福島県の炭鉱も好景気の影響を受けピーク時にはおよそ3万6千人もの人が炭鉱に集まったそうです。
しかしその数年後 時代は石炭から石油へと変わって行きました。すると福島の炭鉱も閉山となり人々の暮らしも苦しくなって行きました。
そんな人々を救ったのが炭鉱を掘ったとき一緒に出てきた温泉でした。会社の社長は社員の反対を押し切りそこにハワイをイメージしたリゾート施設を造り出しました。
当時リゾート施設のフラガールを務めたのは炭鉱で働いていた従業員の娘さんたちだったそうです。
そしてその後ハワイアンリゾートは日本の景気に大きく左右されながら60年以上の長きに渡り経営を続けていく事になります。
1964年に海外旅行は自由化されますが本物のハワイ旅行は庶民にとってはまだまだ高嶺(たかね)の花でした。
そしてハワイ行きをあきらめた多くの観光客がハワイ気分を味わおうと福島に集まったそうです。
さらに高度成長経済のあおりを受けてハワイアンリゾートの来客数は年間120万人を超えたかと思ったら翌年には140万人そして1970年には見事に155万人を突破したそうです。
ーーこのあともハワイアンリゾートは日本経済頼みの経営が続きます。
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