5 15世紀 大航海時代の到来~イスラムのムガル帝国が大繁栄
15世紀 スペインやポルトガル人による大航海時代が到来する
ポルトガル人のバスコダガマはアフリカをまわってインドへ行く航路を発見する
(※当時 ヨーロッパから近道となる地中海からペルシャ湾を抜けインドへ行く航路はオスマン帝国(現トルコ)が独占していた)
その後 ヨーロッパ人はインドで手に入れた香辛料 織物 宝石などをアラブ人からでなく直接 ヨーロッパへ売ることが出来た。
(※それまではそれらの製品を中東のアラブ人が独占していた。)
一方 白人はインド人にアラブやペルシャの馬を売っていた 馬は当時の戦争で大きな戦力となった
毎年 1万3000から4000頭(うち3~4千頭をポルトガル人から)の馬を購入していた
インドの王はほかの国に馬を取られないよう商人の言い値で馬を買っていた
さらに輸送中亡くなった馬もしっぽだけ持ってくれば生きている馬と同じ額の代金を支払った
ヴィジャヤナガル王国(インド南部)が衰退していったのは馬取引とポルトガルがインドに与えた影響が大きかった
16~17世紀 インド北部のデリーを中心とする地域は650年にわたって
ムガル帝国(1526年建国 約300年続いた)などイスラム王朝の支配を受けた
帝国はインド全土とパキスタン アフガニスタン イランまで占領した。ムガル帝国の発祥は中央アジアからである
1526年 ムガル帝国(トルコ系のイスラム王朝)はアフガニスタンからインド平原を攻めデリー軍を破りインド北部を占領する
ムガルとはギリシャ語なまりのモンゴルと言う意味
帝国の首都はアグラでイスラム建築のターマハルもそのころ作られた
ちなみに日本は戦国時代で種子島に鉄砲が伝わった
ムガル帝国の初代皇帝バブールは母方も父方も それぞれれぞれチンギスハーンやティムールの血を引いていた
帝国はその後第6代まで続く ヨーロッパからも多くの人がムガル帝国を訪れ 大いに繁栄した
1565年 ヴィジャヤナガル王国(南部)は北部のイスラム連合国と戦って敗れる
宗教対立ではなく国と国との戦いであった 当時 宗教はそれぞれの国で入り乱れていた
町は破壊しつくされ人々はさらに南に都を作って逃げた
<目次>
1 紀元前1500年頃 ペルシャからアーリア人がインドへ
(古代インドで4大宗教が誕生する)
2 紀元前563~483年(ブッダの誕生)
ヒンドゥー教の原型となった宗教〃バラモン教〃について
3 紀元前327~325年 アレクサンダー大王(ギリシャ人)のインド遠征
紀元前316年 インド初の王朝マウリア朝(仏教王国)が誕生する~仏教文化の飛躍~
5 15世紀 大航海時代とともにヨーロッパから白人がインドへ進出!
~北部はイスラムのムガル帝国の大繁栄 一方で南部のヒンドゥー王国は衰退~
6 18世紀 インドで約300年続いたムガル帝国が滅亡
~インドにおいてイギリスの本格的な植民地支配が始まる~
ネパールがイギリスとの戦争に敗れ国土の約3分の1を失う(※現インド北部)
7 19~20世紀 イギリス統治下のインド~格差が生まれ のちにインド独立運動へと発展する
1914年 第一次世界大戦が勃発~多くのインド人がヨーロッパの戦争で亡くなる~
8 20世紀 インド建国の父 マハトマガンジー(非暴力闘争の一環でもある塩の行進)
9 1940年 第二次大戦勃発 またしても多くのインド人がヨーロッパで亡くなる
~しかし 第二次大戦が原因でイギリスは衰退
結果 インドは一つではなく2つの国に分かれて独立を果たす
10 独立後すぐにインドとパキスタンが戦争を始める~ガンジー暗殺事件~
~中国もインドとカシミール地方の領土をめぐり戦争する~
~第三次印パ戦争ののちバングラデシュがパキスタンから独立を果たす~
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