9 第2次大戦後インドは2つの国に分かれて独立!
インドの初代大統領 ネルーはガンジーの同士でガンジーと同じようにイギリス留学ののち弁護士となった
ヒンドゥー教徒が多数の国民会議派
一方イスラム教徒はムスリム連邦と言う新政党を立ち上げる リーダーはジンナー(のちのパキスタンの初代総督)
両政党はイギリスからの独立と言う目的は一緒だったが考え方は違っていた
国民会議派は一つの国民一つのインド しかしイスラム連邦はヒンドゥー教徒とイスラム教徒を分けたかった
1940年 イスラム連邦はパキスタン建国の目標を掲げる
第2次世界大戦が勃発し またしても多くのインド人が戦地に送られた
戦争に反対したガンジーをはじめ国民会議派のメンバーはすべて逮捕された
ガンジーの妻と秘書は逮捕監禁される前に亡くなってしまう
メンバーは戦後解放される そして独立運動を始める 暴動も増える
イギリスは戦争の影響でひえいしていた もはやイギリスにインドを統治できる力は残っていなかった
そして1947年 インド パキスタン(東西) は ついにイギリスから独立を果たした。
1950年 インド国内においての2つのフランスの占領地が解放される
1960年 ゴアなどポルトガルの支配地域が解放
ヒンドゥー教徒の多いインド イスラム教徒の多いパキスタン(西と東※東パキスタンはのちのバングラデッシュ)
パキスタンに住むヒンドゥー教徒はインドへ移住し 逆にインドに住んでいたイスラム教徒はパキスタンへと移住した
インドにおいてイギリス人最後の総督 マウントバッテンは無造作にインドとパキスタンを隔てる国境線を引いた
その国境線が原因でその後 カシミール地方をめぐり両国が戦争を起こす
さらに国民会議派やムスリム連邦と藩王国との衝突もあった
イギリスのマウントバッテンが仲介に入り藩王国はインドかパキスタンのどちらかの国に入るよう説得させた
しかしインドとパキスタンの間にあるカシミール地方の藩王国のみ保留となった
<目次>
1 紀元前1500年頃 ペルシャからアーリア人がインドへ
(古代インドで4大宗教が誕生する)
2 紀元前563~483年(ブッダの誕生)
ヒンドゥー教の原型となった宗教〃バラモン教〃について
3 紀元前327~325年 アレクサンダー大王(ギリシャ人)のインド遠征
紀元前316年 インド初の王朝マウリア朝(仏教王国)が誕生する~仏教文化の飛躍~
5 15世紀 大航海時代とともにヨーロッパから白人がインドへ進出!
~北部はイスラムのムガル帝国の大繁栄 一方で南部のヒンドゥー王国は衰退~
6 18世紀 インドで約300年続いたムガル帝国が滅亡
~インドにおいてイギリスの本格的な植民地支配が始まる~
ネパールがイギリスとの戦争に敗れ国土の約3分の1を失う(※現インド北部)
7 19~20世紀 イギリス統治下のインド~格差が生まれ のちにインド独立運動へと発展する
1914年 第一次世界大戦が勃発~多くのインド人がヨーロッパの戦争で亡くなる~
8 20世紀 インド建国の父 マハトマガンジー(非暴力闘争の一環でもある塩の行進)
9 1940年 第二次大戦勃発 またしても多くのインド人がヨーロッパで亡くなる
~しかし 第二次大戦が原因でイギリスは衰退
結果 インドは一つではなく2つの国に分かれて独立を果たす
10 独立後すぐにインドとパキスタンが戦争を始める~ガンジー暗殺事件~
~中国もインドとカシミール地方の領土をめぐり戦争する~
~第三次印パ戦争ののちバングラデシュがパキスタンから独立を果たす~
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