2イランの歴史と国際情勢
イスラム教 到来 以前のイラン
(ペルシャ人の起源)イラン人の先祖でもあるペルシャ人は4000年前のアーリア人から来ている
イラン=アーリア人と言う意味でもある アーリアとは高貴な物と言う意味もある
胡椒(こしょう) 胡瓜(きゅうり) 胡桃(くるみ) 胡麻(ごま) など胡の付くものは
昔ペルシャ(現イラン)から来た物 当時 平城京で働いていた役人はペルシャ人だった
日本人に数学を教えたのもペルシャ人だった イランがペルシャだったころは今の領土よりも大きかった
(ペルシャの領土※現在のイランイラクと中央アジアの国名の後ろにスタンと付く国のほとんど)
100年前の王が国名をイランと改名した
アッパース朝
16世紀 ティムール帝国(首都サマルカンド)の滅亡後 トルコ系の民族の支配を脱したイラン人はイランとイラクのあたりにサファビー朝(首都イラン タブリーズ)を建国した (1587年~1629年までアッパース大帝の時が最も栄えた)
(ユダヤ教)イランのユダヤ教徒はイスラエルに次いで多い
2700年前 ユダヤ教徒は バイロンに囚われイランに連行された
その後 アケネス朝ペルシャのキロス大王よって解放された イランのユダヤ教徒はその祖先
1975年のイラン革命の時 異教徒の集団虐殺と言う情報が流れ多くのユダヤ教徒がイランを離れた
アメリカへ逃れたユダヤ教徒が多数 しかし 虐殺は行われなかった
革命前10万人以上いたユダヤ教徒が現在は2万~2万5千人に減少した
国会議員の中にもユダヤ教徒がいる ただイランの敵国 イスラエルには批判的
ユダヤ教徒はイスラム教徒と違いウォッカなどの飲酒が認められている
ただイスラム過激派などを恐れバレないよう影でこっそり飲んでいる
イランのユダヤ教徒は普段はほかのイスラム教徒と変わりない(※意識して目立たないようにしている)だがお祈りの仕方が違う
1999年にはスパイ行為として捕まったユダヤ人もいる
ただヘブライ語を読み書き出来るユダヤ人は全体の1割程に満たない
19世紀 イスラムの少数派 ハバイ教は激しい迫害を受けている
(イスラム教)イスラム教は1300年前
4代目アリーが亡くなったあと 後継者をめぐる考え方の違いがあったため スンニ派とシーア派に分かれた
現在 イランとイラクがイスラム シーア派 サウジやほかの多くのイスラムの国(全体の85%)がスンニ派を信仰している
16世紀 アラブの大部分をオスマン帝国が統治 イランはサファビー朝が統治していた
そのころにイランはシーア派となった 現在シーア派のイラクは 当時まだスンニ派を信仰していた
4代目アリーこそが正統の後継者と血筋を重視するのがシーア派 一方 スンニ派は信者から選んだ人が後継者となっている
シーア派(イラン イラク) 一日5回 お祈りをするのに対して その他 多数を占める スンニ派は 一日3回のお祈りをする
スンニ派は偶像崇拝を禁止しているのに対して シーア派はそうでもない
少数のシーア派がイスラムの規則が緩いのに対して多数派のスンニ派は厳格
オマーンはスンニ派とシーア派がうまく共存している国 民族や宗教対立のバックに国が大きな影響を与えている
(イスラム革命以降)
イスラムの教えにより女性も顔を隠さなければならなくなった 女性は人前で髪の毛や肌を見せてはならない
常に見張りのおばさんが見張っている イスラム革命以降は それまで自由に飲めていたお酒が禁止となった
また一部の娯楽も禁止となった
実はイラン イスラム革命以前は スンニとシーアの対立はなかった 革命後 両宗派 対立が激化した
革命以前 イラクもほかのアラブ諸国と同じスンニ派であったがイスラム革命以降シーア派となった
(イランは超反米国家)
(アメリカ大使館占拠事件)
実は昔は親米国家 今は超反米国家
1979年 アメリカ大使館占拠事件が発生 イスラム革命によりイランは一気に親米から反米国家になる
今でも金曜集団礼拝の後 必ず反米デモを行う
元国王はアメリカへ亡命 アメリカ大使館を占拠した学生たちはアメリカに国王の身柄引き渡しを要求した
さらにデモ隊や学生はアメリカ外交官52人を人質に取り444日間 大使館を占拠した 翌年 アメリカと国交を断絶
その時の人質救出の様子を描いた 映画 アルゴ
(旧アメリカ大使館) テヘラン
旧アメリカ大使館は今 反米博物館として利用されている ※一般公開はされていない
かつてアメリカ人大使館員(CIA)が使っていた秘密の部屋 4段階のセキュリティーシステム
入口の前では 自動体重測定器で体重測定 登録された体重の人だけが入れる
特殊な個人認証システムをクリアしてやっと中へ入れる仕組み
中には大型盗聴器がいくつか並んでいた 占拠事件を知ったCIAは急いで秘密書類をシュレッターにかけた
その後 イランの学生はシュレッターにかけられた 秘密の文章を根気よくつなぎ合わせ読めるようになるまで復元
イランの町の至る所に反米のポスターや看板が掲げられている
現在 アメリカから厳しい経済制裁を受けている ため通貨が暴落しインフレが激しい 物価は以前の2倍
最高紙幣が400円 2000円のトラベラーズチェック(小切手)も出回っている
(サウジアラビアとも仲が悪い)
イランはアメリカ以外にアメリカと仲のいいサウジとも仲が悪い
サウジでは金曜礼拝の後 公開処刑を行っている
サウジが政治犯罪者を処刑した際 その中にイスラムシーア派の宗教指導者がいたのが対立の原因となった
バーレーンやジブチなど さまざまな国がイランと国交を断絶した
ただ国交断絶後もイラン人がサウジの聖地メッカへの巡礼は許されている シーア派の聖地 マゴメットも同じ
ペルシャ人(イラン)とアラブ人(中東のその他多くの国)の対立構造でもある
イランでは革命以降 王政は廃止されたが ほかの中東各国では王制を続けているところが多い
なおイランでもコーランを読むときは だけはアラビア語で読まれている
(イランは親日国家)おしんや はだしのゲンが人気 日本と同じ地震大国
イスラム革命以前 多くの日本企業がイランに進出していた 6000人の日本人社員と日系企業が80社以上
しかし常にアメリカの影響下にある日本はイスラム革命以降
イランにあった世界最大の石油施設を手放さなければならなくなった
現在でも101人の日本人と 日本系企業31社がイランに進出している
<もくじ>
1イランの基本情報
2イランの歴史と国際情勢
3テヘラン(首都)
4イスファハーン
5シューシュタル
6カーシャーン アブヤーネ村 コム
7タブリーズ
キャンドヴァーン村 サルエイン温泉
8イラン西部 その他の名所
9ペルセポリス
10バム遺跡
11ヤズド
12イラン東部 その他の名所
13ペルシャ料理
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