9ペルセポリス
ーーーーペルセポリス
紀元前6世紀のアテネス朝ペルシャ大帝国の都の遺跡
紀元前550年
イラン アテネセス朝ペルシャ ペルセポリス遺跡は アッシリアなきあと 古代オリエント世界と統一した大帝国
西はエジプト 東はパキスタンに及ぶ広大な領土を統治していた 帝国は異文化も柔軟に取り入れた
またペルセポリス遺跡は①ヨルダンのペトラ遺跡 ②シリアのパルミラ遺跡 と並び中東3大遺跡の一つ
(アバダーナ)
高さ7メートルの人の顔が彫られた彫刻 兵士たちに囲まれた巨大な階段などがあった
(王宮跡) 広さ300×430メートル 中には13の大きな建物があった1万人の人が入れる大広場もあった
発見された碑文から王宮は各時代の複数の王により造られたことが分かった
王宮は王が変わるたびに増築を繰り返していった
紀元前300年代 アケメネス朝ペルシアの最後の王 ダイオレス3世のころ
ペルシャ帝国は王政ではあったが民主国家を形作っていた 宗教はゾロワスター教を信仰していた
帝国中から1万人が集まり王のため(王に謁見する)の儀式が行われた
壁画の彫刻にも大勢の異民族が行列を作る様子が描かれている
サカ人やアッシア人は馬車を引いて アラビア人は尖った帽子をかぶりラクダを連れてやってきた
ロバを連れてやってきたのはインド人一行だった 23の民族が王にみつぎ物を持って集まった
騎馬民族のスキタイ人は軍事力でペルシャ帝国に貢献 エチオピア人は象牙をインドからは砂金がもたらされた
地中海のフェニキア人(今のレバノン当たり)ほか 彫刻には様々な民族が たった一人の王に使える様子が彫られている
また公用語は支配者のペルシャ語を使わず あえてアラム語を使っていた(※他民族の文化を尊重するため)
紀元前4~5世紀 製造(発見は19世紀) オクサスの違宝
見事な黄金のリングなど工業技術ではローマやギリシャの上を行っていた
今はイギリスの大英博物館に展示されている
手に乗るほどの小さな工芸品 先頭には4頭の馬 後方の荷台には手綱を引く小さな人と体格のいい王様が乗っている
馬の背丈よりも大きな車輪は長距離の移動でも揺れが少なく乗り心地がいい 王の移動はこのような馬車が何台か使われリレー方式で行われた
王の命令も馬車のリレーを使い領土の隅々まで届いた 歴史書にも この世にペルシャの郵便ほど早いものはないと絶賛された
黄金の馬車もイギリスの大英博物館に展示されている
また王は税制の入り具合や反乱の気配がないかなどの情報を しっかりと把握していた
巨大な帝国は23州にわかれていた 23州の長官に さまざまな命令を下していた
帝国の端から端までは2400キロ それぞれの州を結ぶ道路が整備された のちの時代のシルクロードの基盤となる道
しっかりと封印された手紙を7日以内に長官に手渡した。 当時もうすでに他国にない優れた連絡網を築いていた
イラン ペルセポリス遺跡でも くさび型文字が発見されている
大ペルシャ帝国でも 人類最古の文字くさび形文字が使われていた
17世紀 一人の旅行家がペルセポリス遺跡の石柱の上の方に書かれていた
くさび形文字を発見しヨーロッパに伝えたのが文字解読のきっかけとなった
当初は文字ではなく 装飾模様だと考えられていた
19世紀初め ドイツ人がペルセポリス遺跡で見つかった くさび形文字を元に解読作業を行った
そこには ① 古代ペルシャ語 ② エラム語 ③ バビロニア語 の3種類の言語が書かれていた
まずはクセツクセス王の名から解読作業を始めた
紀元前5世紀
切り立った岩山にはライオスが戦に勝った祝いの彫刻が彫られていた
彫刻の下には くさび形文字で祝いの言葉が書かれていた その文字が解読に大いに役立った
イラン軍事顧問をしていたローリンソンにより文字解読が行われ成功した。
4人の解読者が それぞれ同じ解読結果を出し より完璧なものへとなった
しかし紀元前330年 ギリシャ マケドニアのアレクサンドロス大王 により帝国は滅ぼされてしまう
アレクは王宮に火を放ち ペルセポリスは火の海に包まれた
その後アレクはペルセポリスの遺跡に長年のペルシャに対する憎しみを込めた彫刻を掘っている
またアレクはペルセポリス以外にペルシャが支配していた9つの州を支配していた
その後 廃墟となったペルセポリスは 2000年間も放置される 発掘調査が終わっているのは王宮のみ
まだ 大部分が土の中に埋まっている
(万国の門)高さ21メートル
<郊外1>(ナグシェ ロスタム)歴代ペルシャ王の墓とゾロアスター教神殿 遺跡
(ナグシェ ラジャブ)
(クルアーン門)
<郊外2>(シーラーズ)薔薇の産地
(シャーチェラーグ廟)内部は万華鏡のような美しさ 基本 イスラム教徒のみ入場可能 ただ検査はない
(アリー エブネ ハムゼ聖廟)内部は万華鏡のよう 来客にお菓子がふるまわれる
(マスジットヴァキール)
(ハマーメ ヴァキール)
(バーザーレ ヴァキール)
(キャリーム ハーン城塞)町の中心にある要塞
(マスジェデ ナスィーロル モスク)
<郊外3>(パサルガダエ)ペルセポリスから40~50キロ離れた場所にある 帝国最初の首都
パサルガダエはキロス2世が一代で築いた帝国 キロス2世の墓も残っている
キロスは多民族をまとめることで争いをなくそうとした
石碑にはキロスの言葉が3つ(バビロニア語 古代ペルシャ エラブ語)の言語に訳され書かれている
<もくじ>
1イランの基本情報
2イランの歴史と国際情勢
3テヘラン(首都)
4イスファハーン
5シューシュタル
6カーシャーン アブヤーネ村 コム
7タブリーズ
キャンドヴァーン村 サルエイン温泉
8イラン西部 その他の名所
9ペルセポリス
10バム遺跡
11ヤズド
12イラン東部 その他の名所
13ペルシャ料理
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