10 紀元7世紀 イスラム教の誕生 ウマイヤ朝の躍進!
一度はビザンチン軍にサーサーン朝の首都クテシフォンを奪われるが すぐに奪還する
しかし この戦争が原因でササン朝ペルシャの国力は低下し衰退していく
7世紀 アラブの商人ムハンマドが起こしたイスラム教は わずか15年でアラビア半島全域に及んだ
次第にに武力を強化し 東ローマ(ビザンツ帝国)の領土も奪っていった
638年 イスラム2代目カリフ(指導者)は当時ビザンツ(東ローマ)が統治していたエルサレム(現イスラエル)に入場する
ちなみにイスラム シーア派ではトップはカリフ(指導者)だがイスラム スンニ派ではスルタン(王)と呼ぶ
642年 ゾロアスター教を信仰するササン朝ペルシャはイスラム教徒(アラブ人)により滅ぼされる
680年 イスラム教が誕生して間もないころ北アフリカから中東
ヨーロッパはスペインまで多くの領土を支配していた世界初のイスラム王朝 ウマイヤ朝(首都はダマスカス(シリア))であった
イラク南部(カルバラ)のアッパース霊廟
イラク南部(カルバラ)バビロンの西45キロ バグダッドの南100キロのところにある
途中 砂漠でラクダの群れと遭遇することもある
そのイラクのカリバラでカルバラの悲劇と言われる大事件が発生する
その事件はイスラムシーア派トップ(4代目カリフのアリー)の息子兄弟 フサインとアッパースがウマイヤ朝に殺されてしまう
その時殺害された フサインとアッパースの霊廟がここにある そのアッパース霊廟は 今でもイスラムシーア派の聖地としてパキスタンやイランからも多くの人が訪れる
クーファ(湖がある町 Kūfa كوفة) シーア派 正統カリフ アリーはクーファに来て新政府を樹立しようとした
しかし661年 暗殺されてしまう その暗殺現場も今じゃ観光名所となっている
イスラム シーア派の聖地 地平線の果てまで見渡す限り墓 シーア派(イラク人)たちは 皆ここに墓を作りたがる
バスに乗ってしばらく走った後も 外は一面墓の景色が続く このあたりの景色は水路はあるが植物は全く生えていない
ドーム屋根の内側はイスラムタイルの装飾がされていて奇麗
屋根の下にはアルファル氏が眠っている
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