11 紀元8世紀 アッパース朝イスラム帝国(イラク)VS唐(中国)との戦争
732年 ウマイヤ朝は 東ヨーロッパまで進出しフランク王国(今のフランスやドイツ)とも戦う しかし結果はフランク王国の勝利
その後 ウマイヤ朝(アラブ帝国)はアッパース朝(イスラム帝国)によって滅ぼされる
どちらの王朝もイスラム教だが新勢力のアッパース朝は現イランイラクに多いシーア派からなる
8世紀(751年) バグダッドを首都とした イスラム帝国を開国した 指導者の名前からアッパース朝と呼ばれた
アラブ帝国がアラブ人優遇政策をとっていたのに対してイスラム帝国はアラブ人以外の民族も平等に扱った
そのイスラム帝国は中国の唐と肩を並べる巨大帝国へと発展していく

イスラム教の経典 コーランにも その時の帝国の躍進の事が書かれている

751年(8世紀) イスラム帝国と唐(現 中国)との戦いがあった 場所は中央アジア キルギス(旧ソ連)北部のタラス川
※タラスの戦い=唐(中国)とアッパース朝(イスラム)の戦争※唐が敗北
その戦闘のさなか唐で門外不出とされていた紙の製法がイスラム帝国に伝わってしまった
そのことによりイスラム帝国は勝利以上の成果を得た その後 イスラム帝国は紙の材料探しに苦戦する
紙の材料は桑の代わりに麻を使用 麻を漂白をし じっくりと煮込む さらに臼で繊維をすり潰し 杏の皮で作った糊を使い網ですくい紙を作る
中国(唐)の技法を使いイスラム独自の紙が作られた その紙の技法は中央アジア ウズベキスタンのサマルカンドで見ることが出来る
紙が誕生する以前は羊の革に煤を使い文字を書いていた しかし書いた文字が すぐに消せるため改ざんが問題になっていた
一方 紙はインクが中までしみ込み簡単には消せなかった さらに紙は安く大量生産が可能であった
※ちなみに中国は紀元前2世紀の前漢の時代に 日本はアラブより100年早い飛鳥時代(7世紀ごろ)に紙すきの技術が伝わったとされている

紙を使う事で行政の整備が飛躍的に整い さらに紙を使いカリフ(イスラム指導者)の言葉が帝国中に広まり中央政権の体制が整った
コーラン(イスラム教の経典)も多く作られイスラム教布教に役立った やがて帝国中の様々な文献がアラビア語に翻訳され多くの本が作られた
その後 アッパース朝は分裂する
9世紀に建てられたバベルの塔に似た高さ55メートルのらせん状の塔
幅2メートルの階段で登ることが出来る 塔の周りをまわるように登っていく






→続きを見る12 10世紀~13世紀
イラクVSモンゴルの戦争
バグダッドの繁栄と滅亡!
コメントを残す