14 20世紀と21世紀 アメリカVSイラク 湾岸戦争とイラク戦争
1990年 アメリカが(石油の利権を求めてか?)クウェート救出と言う名目でイラクに戦争を仕掛ける 湾岸戦争が勃発する。
イラクはイスラエルに向けスカッとミサイルを発射
戦後 イラクは国連から経済制裁を受けることとなる 物価は上昇し食糧と衣料品が不足する
フセイン時代にはホテルの入り口にブッシュパパの大きな踏み絵がありブッシュの顔を踏まないと中に入れないようになっていた。
そこには英語とアラビア語で犯罪者と書かれていた。
1991年 アメリカ軍の爆撃を受けた防空壕 米軍がフセインがこの中に潜んでいるとの偽の情報を入手し行った誤爆によるもの 2発の爆弾が投下されたが穴は一つのみ
この誤爆により 多数の死傷者が発生した 今もその傷跡が生々しく残っている
バスラ(イラク南部)
人口140万のイラク第2の都市
湾岸戦争では地上戦が行われた 石油コンビナートがあったため戦争中は大きな破壊を受けた
高速道路は 隣国のトルコ シリア クウェートに通じている 戦争の時は高速道路を滑走路として使用していた
戦争中 米軍により使用された劣化ウラン弾により小児がんや白血病が多発している ただアメリカはそのことを否定している
バグダッドから約360キロ郊外 ユーフラテス川のほとり 古代都市ウルからは50キロ
湾岸戦争で破壊されたナシリア橋 車も通れる大きな橋であった
今は複数の筏を繋げた橋を使っている
2003年 英米軍 30万が出兵した イラク戦争により バグダッドは陥落し 無政府状態となる
アメリカはイラク国内で大量破壊兵器を探し出すと言う目的で戦争を始めたのだが 結局 大量破壊兵器は最後まで見つからなかった
さらに米軍はヘリコプターで民間人を次々と撃ち殺した事件が発覚している。
イラクでは病院も襲われ医療器具が盗まれた 小さな病院はお金持ちの寄付により運営されている
2014年 IS(イスラム過激派組織)の攻撃を受け壊滅的な被害を受けたモースル
古都モースルは紀元前のアッシリア時代から栄えた年だった
預言者ヨナの墓はサダムフセインが建設した周囲12キロの城壁の中にある
ここにある宮殿の遺跡も保存状態のいいものはフランスのルーブル美術館やイギリスの大英博物館に持ち去られ展示されている
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