2 紀元前35世紀 イラク(南)ウルやウルクの都市国家を形成する(人類最古の文字)
紀元前3500年~紀元前2000年の間に今のイラク南部(ユーフラテス川の近く)にウルやウルクなど多くの都市が作られて行く
(ウルク バグダッド郊外) Uruk(ユーフラテス川下流)旧名エルク(旧約聖書にそうある)
シュメール(メソポタミヤ文明)の都市は それぞれ守護神のそばに作られた
シュメール(メソポタミヤ文明)にあった25の都市は それぞれ事あるごとに主権争いをしてきた
都の ほとんどは長さ9.5キロの城壁に囲まれていた 現在は遺跡のみが残る
古代メソポタミアの都市のひとつ メソポタミアの中でも最も古い村落が存在した場所
過去には何度も同じところに神殿が再建されてきた エンドゥは そんな宗教都市でもあった
エリドゥ湖 塩分濃度が高い 5月ごろ水かさが増す ジェクラド階段で遺跡の上まで登れる
発掘し終えたところは遺跡の劣化を防ぐため一旦埋めなおし 再び調査を行う
神殿のあった場所には煉瓦が積まれているが それは1900年代アメリカの調査隊が調査のため積み上げたもの
そのアメリカの調査隊が撮影した写真が残っている そこにあった粘土板の文字の解読に成功したことでこれらの遺跡の詳細が分かった
やがて都市の中から強い権限を持った権力者が現れる 最初の権力者はるメルと言う僧侶であった
やがて神殿の中では穀物の取引や税の徴収が行われた それらを記録するためにシュメール人は文字を発明した
紀元前3500年 人類初の文字 くさび形文字がシュメール人によって作られた
ドイツの発掘隊によりウルクの遺跡からシュメール最古の絵文字が見つかった
紀元前3100年ころの絵文字は1500種類ほど見つかっている
当時は円すい形の煉瓦を使用していた 表面には美しい幾何学模様が描かれていた
絵文字は10進法や60進法(数学)を用いて書かれていた
パンの絵文字の隣に人の頭(絵文字)を置けば 食べるという言葉になる
絵文字は やがて くさび形文字へと変化していった 紀元前2500年ごろには ほぼすべての絵文字が くさび形文字へと変わっていった
くさび形文字は3000年間という長い間に 様々な民族に使われきた為 次第に 同じ文字でも読み方が違ったり 意味までも変わってきた
紀元前7世紀 アッシュールパルパル王が築いた遺跡の中から2万5千点もの くさび形文字が書かれた粘土板が見つかった
そこにはアッシリア人が行った くさび形文字の解読方法が書かれていた
一番左に意味不明の くさび文字 一番右に アッシリア語 真ん中には
左の意味不明な言葉をアッシリア語に翻訳する方法が書かれていた
その結果 くさび形文字は アッシリア人よりも前の民族が作り出した可能性が出てきた
1874年 メソポタミア南部(現 イラク南部)で それまでに見たこともない彫像が一体見つかった
それこそ 紀元前3500年 人類初の文字 くさび形文字を作った 最初の民族 シュメール人のグデア像であった
その彫像にも くさび形文字が築かれていた
調査の結果 150年で 解読できた くさび形文字は 全体の たった2割
今のペースで行けば すべて解読し終わるのに あと200年かかると言われている
人間の顔に雄牛の体がくっついた物 足元には くさび形文字が刻まれている
紀元前6世紀にたてられた イラン ペルセポリス遺跡でも くさび型文字が発見されている
大ペルシャ帝国でも 人類最古の文字くさび形文字が使われていた
17世紀 一人の旅行家がペルセポリス遺跡の石柱の上の方に書かれていた
くさび形文字を発見しヨーロッパに伝えたのが文字解読のきっかけとなった
当初は文字ではなく 装飾模様だと考えられていた
19世紀初め ドイツ人がペルセポリス遺跡で見つかった くさび形文字を元に解読作業を行った
そこには ① 古代ペルシャ語 ② エラム語 ③ バビロニア語 の3種類の言語が書かれていた
イラン ペルセポリス遺跡のついての詳しい情報はこちらをご覧ください。
メソポタミアの滅亡から2000年たった15世紀ごろ シュメール人が残した くさび形文字は完全に使われなくなった
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