3イラク北部
紀元前879年 シュメール人国家の滅亡から1000年以上がたっていた
メソポタミア北部(現イラク北部)では シュメール文化を受け継いでいたアッシリアが軍事上の理由で首都を北部のアッシュールから南部のニムルドへと移動した
そのニムルド遺跡は19世紀から150年間以上 続けて発掘調査が行われている アッシリア王妃の墓からは 多数の宝が出土した
ニムルドは世界最初の彫刻で飾られた街だった イギリスの大英博物館に その当時の様子が展示されている
1845年からニムルド遺跡の発掘を行っていたイギリス人がニムルドの町の想像図を描いた。
紀元前20年(紀元前2000年)より前には アッシリア(イラク北部)に王朝が誕生し 王朝はその後3400~4000年以上存続する
(ジェグラト神殿 3層からなる神殿 バグダッド郊外)
紀元前2000年ごろのメソポタミヤ文明 カッシート 第3王朝の遺跡 カッシート人は主にバビロニア(現イラク)で住んでいた民族
完成当時は高さ78メートルあったが今は57メートルとなっている 神殿に入る石段は後から作られた
初期王朝時代の墓があったところで 素晴らしい装飾は服装品が見つかっている
それらの多くはイギリスの大英博物館に展示されている
遺跡の周りにはシュメール文字(世界最古の文字)と雨水を外に出す溝が彫られている
この遺跡はバグダッド郊外のアガルグフと言う紀元前から栄えた都市にある
イギリス大英博物館の館内に展示されているものは色が剥がれ落ちてしまっているが当時は色鮮やかな塗装がされていた
川沿いに畑があり そこには城(又は宮殿)が立っている ここで発掘された重要なものは海外に持ち出され
今はフランスルーブル美術館やイギリス大英博物館に展示されている 遺跡内は迷路のようになっている
紀元前9世紀 古代アッシリア遺跡 IS(通称イスラム国)のに破壊された遺跡
IS(イスラム国)がハンマーや爆弾を使い 人類の貴重な遺産でもある遺跡を破壊していった
バグダッド郊外の古代都市 クテシフォンは紀元前3世紀から紀元7世紀までアルサケス朝パルティアとササン朝ペルシャの首都だった
シャーフル1世が建てた宮殿跡 高さ37メートルのアーチ門からなる建物 4階部分は壊れてなくなっている
戦乱やチグリスの洪水に会い建物には大きな亀裂が入っている 25×25メートルの大ホール内は反響音がよく響く
かつてホール正面には玉座が置かれていた
首都バグダッドから西北300キロのところにある
1~2世紀 イラクがパルティア(アルサケス朝=イラン系の王朝 紀元前3世紀~紀元後3世紀)の支配下にあったころ
西方のローマ軍に対抗するためにハトラに軍事拠点が置かれた またハトラは宗教都市としても栄えた
ハトラ遺跡は ハトラと言われる大きなキャラバン都市の跡 周囲9×6.5キロ円形の城壁に囲まれた遺跡
シルクロードを渡るキャラバンが神殿に向かい旅の安全を祈願した場所でもあった
ハトラ神殿はイラン イラク(ゾロアスター教)ギリシャ(ギリシャ正教)ローマ(カトリック)など様々な種類の宗教が混在した石造りの見事な 神殿となっている
ちなみにこの時代まだイスラム教は存在していない 当時 ハトラの人々はラクダの食料調達や砂漠の案内をしていた
最初にオランダが発掘調査を行い その後 調査はイラク政府に受け継がれた
ハトラ遺跡もまたIS(イスラム過激派組織)の破壊を受けた
9世紀に建てられたバベルの塔に似た高さ55メートルのらせん状の塔 サーマッラは9世紀 イスラム帝国の都となる
幅2メートルの階段で登ることが出来る 塔の周りをまわるように登っていく
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