2アヤソフィア
325年 ビザンツ時代 コンスタチノス一世によりアヤソフィアの元となる教会の建築が始まった 最初に建てられた教会と次に建てられた教会は両方とも火災にあい焼けてしまった。
532年 イスタンブールの戦車競技場で起こったニカの反乱(市民暴動)が発生
ニカとは重税を意味する言葉 事の発端は帝国が市民に課した重税にあった
映画 ベンハーではその時の反乱の様子が再現されている。
暴動は全土に広がったが皇帝ユスティニアヌス1世により鎮圧された。
(同年)ユスティニアヌス1世は暴動を鎮圧した記念にアヤソフィア(東方正教の聖堂)を建設した。
アヤソフィアは石と煉瓦のみ7を使用して建てられた。
当時 世界で4番目に大きな教会だった
アヤソフィアは3方向を海に囲まれた場所に建てられた。
50万の作業員が動員され6年で完成させた。ドームの直径は31メートル 高さは50~55メートル(18階建てのビルに相当)
巨大なドーム屋根には40か所の窓が設置された。
完成から20年後 ドーム屋根は地震で崩壊 その後再建された。
その後も何度も修復工事が行われてきた。
アヤソフィア建設にあたり帝国中から石材が集められた。
アヤソフィアは中央に大きなドーム その周りには いくつかの小さなドーム
アヤソフィアを上から見ると十字架の形をしている
中にはエジプトやギリシャの古代神殿を取り壊しアヤソフィアの建築素材として使われた。
ビザンチン帝国時代 国の重要な儀式はすべてアヤソフィアで行われた
もともとはキリスト教の教会として建てられたが のちにオスマントルコがイスラムモスクに改築
そのさい十字架は すべて削り取られ 聖職者が語り掛ける説教代が設けられた
新たに作られた祭壇は装飾品が すべてメッカ(サウジアラビア)の方向を向いている。
完成当初 ドーム屋根の上に掲げられていた十字架も取り外された。
そのとき偶像崇拝を禁じるイスラム教徒によってキリストのモザイク画は漆喰で白く塗りつぶされた。
イスラムの聖地メッカ(サウジアラビア)の方向を示すミフラーブ(壁のくぼみ)も新たに作られた 正面より少し斜めに設置されている
アヤソフィア内に設置された2つの緑の円盤状の看板にはアラビア語で神アッラーと預言者ムハンマドと書かれている。
アヤソフィアは老朽化の影響からか床が波打っているように見える
1931年 アメリカの調査隊により漆喰の向こうに書かれたモザイク画が発見された。
20世紀の修復によりキリストのモザイク画は甦る
9世紀に書かれたモザイク画に数多くの色ガラスが埋め込まれていた。
聖母マリアが幼子のキリストを抱く姿が描かれている
モザイク画にはビザンツ皇帝コンスタチヌスの姿も描かれている
キリストを抱く聖母マリアの右側にはコンスタンチンノーブル(イスタンブール)の町を築いたビザンチン皇帝が描かれている
聖母マリアの左側にはアヤソフィアを築いた湯捨てアヌスの絵が描かれている
2人とも聖母マリアに敬意を抱き少しお辞儀をするように腰かがめ さらに両手にはお城の模型のようなものを持っている。
イスタンブールには アヤソフィアのようなドーム屋根建築(モスク)の建物が2500ある
もともと東方正教会の象徴であったドーム屋根建築は いつの日かイスラムモスクを代表する形となった
トルコ共和国建国以来 アヤソフィアはキリスト教徒絵の配慮から ずっと博物館として使われてきたが近年またモスクに戻された
願いが叶うかどうかを見極めるアヤソフィア内の壁の穴
壁の穴に親指を突っ込み 一周グルリと回せれば願いが叶うとされている
18階建ての高さに相当する高さにまで足場を組み作業用のエレベーターで56メートルの高さまで登る
小さなガラスを埋め込んだモザイク画の修復を行っている。ガラスをはめ込む角度によってさまざまな色の変化を見せる その色ガラスの交換作業を行っている
<目次>
1イスタンブールの基本&レストラン情報
2アヤソフィア
3ブルーモスク
4トプカプ1(豪華な宮殿の内部)
5トプカプ2(宝物殿とハーレム)
6ドルマバフチェ宮殿とヴァレンス水道橋
7ガラタ地区(金閣湾)
8ボスポラス海峡とテオドシウス大城壁
9イスタンブールの博物館&モスク
10市場(トルコ絨毯)
11イスタンブール郊外
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