3ブルーモスク
オスマン帝国 アフメット1世の時代
1609年(又は1607年)から7年の歳月をかけアヤソフィアと向かい合うように建てられたモスク
わずか14歳の若さで即位したスルタンによって建てられた
しかしスルタンは24歳の若さで亡くなる
直径 27.5メートルの巨大ドーム屋根 そのドーム屋根を囲むように6本の塔(ミナレット)が建っている
一般的なモスクのミナレットは4本 6本のミナレットを持つモスクは聖地メッカ(サウジアラビア)とブルーモスク(トルコ)のみ
塔(ミナレット)の中には 狭いらせん状の階段があり高さ70メートルの塔の頂上まで登ることが出来る
建築はアヤソフィアをまねて作られた
完成当時 青いタイル(イズミールタイル)2万枚を使用していたためブルーモスクとも呼ばれる
もともと外装は青を基調に黄色や赤の幾何学模様が描かれていた
しかし現在は色落ちし白く(又は灰色)になっている
ただ内装は今でも青っぽい
内部はスルタン(イスラム王)が自分の権威を示すためため豪華に作られた。
260のステンドグラスからなる小窓
内装にはトルコ発祥のチューリップの絵柄もある
聖人の絵はないが内装もアヤソフィアに似せて作られている
ブルーモスクは現在もモスクとして利用されている
毎週 金曜礼拝がブルーモスクの中で行われている。
オスマン帝国 スルタン スレイマン1世が建てたモスク
スレイマン1世の頃 オスマン帝国は最盛期を迎えていた
当時 モスクは祈りの場以外に貧しい人に食料を分け与える配給場としても使われていた。さらにモスク内には病院や学校も入っていた。
モスクの片隅にはスレイマンの愛人ヒュッレム(ウクライナ人)の霊廟がある 奴隷出身の女性としては特別待遇であった
建物の中には50代半ばで亡くなったヒュッレムの棺が置かれている。
イスタンブールの博物館にはアレキサンダーダイオ王の棺が残っている
石棺で出来た見事な造りとなっている
かつてジハード聖戦の呼びかけがあれば世界中のイスラム教徒が一斉に立ち上がった。
その時に使われたジハードの旗が箱の中に収められている
リキュア文明の様々な物が展示されている。
ギリシャ神話風のスフィンクスも展示されている
ギリシャ マケドニアのアレクサンダー大王にまつわる資料が展示されている
1887年 シドンと言う場所で発見されたアレクサンダー大王の石棺 石棺の中にはアレクの遺体は入っていなかったが石棺の側面にアレクのモチーフが施されていた。
アレクの死から20年後に作られた棺
リキヤの石棺
嘆き悲しむ女たちの石棺
ライオン像 紀元前400年ごろの物
アレキサンダー大王の立像
オケアヌスの像 紀元前2世紀ごろの物
ティケの像 紀元前2世紀ごろの物
1472年 メフメット2世により建てられた
<目次>
1イスタンブールの基本&レストラン情報
2アヤソフィア
3ブルーモスク
4トプカプ1(豪華な宮殿の内部)
5トプカプ2(宝物殿とハーレム)
6ドルマバフチェ宮殿とヴァレンス水道橋
7ガラタ地区(金閣湾)
8ボスポラス海峡とテオドシウス大城壁
9イスタンブールの博物館&モスク
10市場(トルコ絨毯)
11イスタンブール郊外
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