6ドルマバフチェ宮殿とヴァレンス水道橋
1856年 ボスポラス海峡沿いに建てられた宮殿
トプカプ宮殿 老朽化に伴い ボスポラス海峡に新たにドルマバフチェ宮殿が建てられた
全長600メートルの白亜の宮殿(洋風建築)
トルコに国賓が招かれた時 この宮殿に宿泊する。
イギリス製の金ピカで豪華なシャンデリアが天井を飾っている
シャンデリアはバカラ製で重さは4.5トンもある
オスマン伝統の建築スタイルで建てられている
スルタンが各国大使を受け入れた部屋
40×45メートルの空間と56本の柱からなる 中央には重さ5トンのシャンデリアが吊り下げられている
1938年 アタチェルク(57)はこの執務室で亡くなった。
部屋の時計は今でもアタチュルクが亡くなったのと同じ時刻9時5分を指して止まっている。
4世紀のビザンツ時代 時の皇帝が街の水を確保するために造った 長さ1キロの水道橋(現在は800メートル)
100キロ離れた水源から水道橋を通ってイスタンブールに生活用水が運ばれた。
水道橋で運ばれた水はいったん地下の貯水庫に貯められ その後 各地へと送られていった。
現在は遺跡保護の為 水道橋の上には登れない。
旧市街にある アヤソフィアとブルーモスクの間に建つ小さな建物の地下にある
4~5世紀 ビザンツ帝国時代に造られ その後オスマン帝国が使用
長さ135~140メートル 幅65~70メートル 高さ8メートル
内部には大理石の石柱が336本立っている
エジプト他 世界各国から集められた石を使用している
そのため大きさや形もバラバラで様々な模様の石が存在する
中には古代遺跡の柱を外し運ばれた石材もあった。
メドゥーサの頭(柱)もそのうちの一つ
100キロ離れた森から水道橋を通って運ばれてきた水はいったんここに貯められていた。(又は20キロ離れた黒海から運ばれていた)
ビザンチン時代 地下には3か月分の水(78000~10万トン)を貯められる大空間からなる貯水槽が整備された
このビザンチン最大の貯水湖から各地へ水が配給されていた。
顎を上に上下逆さに置かれた頭の像
なぜならメドゥーサの頭を直視してはならない為
伝説では彼と目を合わせた物は 皆 石にされてしまうと言う
メドゥーサは人の姿をした怪物 ただ髪の毛だけは蛇で出来ている
1984年までメドゥーサの頭は高さ2メートルの泥の中に埋まっていた。
<目次>
1イスタンブールの基本&レストラン情報
2アヤソフィア
3ブルーモスク
4トプカプ1(豪華な宮殿の内部)
5トプカプ2(宝物殿とハーレム)
6ドルマバフチェ宮殿とヴァレンス水道橋
7ガラタ地区(金閣湾)
8ボスポラス海峡とテオドシウス大城壁
9イスタンブールの博物館&モスク
10市場(トルコ絨毯)
11イスタンブール郊外
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