〃北海道〃の名所&歴史
北海道の歴史 |
1万4千年ほど前の氷河期 ユーラシア大陸から北アメリカ大陸に人類が移り住む
数万年前 人類が初めて北海道の地に到達する
ロシア シベリアから当時 陸続きとなっていた北海道へマンモスやオオツノシカを追ってやって来た人たちだった
約1万3千年前~1万2千年前 氷河が後退し温暖になると本州からも北海道へ人が移り住んだ
氷河期が終わり 温暖化の影響で海面が上昇すると日本列島は大陸と切り離され縄文時代が始まる
その後 約8000年間縄文時代が続く
本州では弥生時代が始まっても北海道では続縄文時代がまだ続く
DMAの結果から今でも北海道と沖縄には縄文人の子孫が多い しかし北海道と沖縄では少しタイプの違う縄文人であった
稲作が行われさらに鉄器使われていた 鉄器の発達により狩猟が楽になり 一説では農作より狩猟の方が効率が良かった
536年 本州では仏教が伝わる 北海道では海の民と言われるオホーツク人がやってくる
オホーツク人はユーラシアから北アメリカ大陸に移る途中樺太にとどまった人々の祖先だと言われている
擦文さつもん時代 北海道から東北にかけて 7世紀ごろから13世紀まで存在した
10世紀 アイヌ人が樺太(現ロシア サハリン)から南下し北海道北部のオホーツク文化(又は擦文文化)を排除しながら北海道全域に進出する
またアイヌ人は遺伝子的にも縄文人とよく似ているところから縄文人の末柄(子孫)とも言われている
アイヌ人 縄文人の顔つき(堀の深い顔)に対してオホーツク人はより日本人や韓国人 中国人に近い 平らで のっぺりとした顔つき
さつもん文化とオホーツク文化が合わさりアイヌ文化が生まれた 活発な交易がおこなわれた
北海道でとれたラッコの毛皮がよく売れ 当時もうすでに乱獲が進んでいた さらに格差社会でもあった
アイヌは本州だけでなく中国やロシアなど世界中と交易を行っていた
樺太(現ロシア サハリン)アイヌのみミイラ製造を行っていた
一方 北海道でアイヌ文化に追われた擦文文化は東北地方に移動し青森県に擦文文化が浸透した
擦文文化は鉄器の河口に優れていた
13世紀ごろには 中国大陸の元(モンゴル系王朝)と交易上のトラブルがあり戦争になっている
13世紀 アイヌ人が千島列島(現ロシア統治)に進出する
13世紀半ばから14世紀初頭に当時 アイヌ人が住んでいた樺太(現ロシア サハリン)にモンゴル帝国が進行して来た
15世紀 アイヌ人はロシア 噛むチャスカ半島まで活動範囲を広げる
1457年 北海道アイヌ人と本州和人との間でコシャマインの戦いが行われた
和人の鍛冶職人とアイヌ青年との間で起こた衝突が発端となって起きた紛争
結果は和人の勝利
17世紀 江戸時代に入ると北海道原住民(アイヌ民族)と和人(本州人)による不平等交易がおこなわれる
同じく17世紀の1669年 アイヌ民族の首長が松前藩に対して起こした蜂起 シャクシャインの戦いが起こる
この戦いでアイヌは敗北し以降 アイヌは松前藩に絶対的な服従を強いられる
1789年 アイヌ人が支配者の和人に対して起こした蜂起 クナシリ・メナシの戦いが起こる 結果 アイヌの3連敗
明治に入り明治政府は帝政ロシアの南下を恐れ北海道開拓に力を入れる
名所 |
小樽 運河 ロシア料理
北海道 開拓の村 〇ジンギスカン スープカレー
味楽(ラーメン店)焼き醤油ラーメン
ウニ漁
コメントを残す