19世紀末 その2
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19世紀末 新政府 民主化暴動を鎮圧! |
1872年 富国強兵の時代 新政府主導で富岡製糸所(絹を生産する工場)など 近代的な工場が多く作られた
財力が豊かになった新政府は そのお金で戦艦や戦闘機などの武器を買った
1873年 日本で徴兵制度が始まる
1874年 西郷と同じく意見の違いから新政府を離脱していた稲垣退助が自由民権運動(民主化運動)を行った
その後 稲垣が強姦に襲われたことで 庶民の中でも政府を倒そうという意気込みが高まり 運動はより一層 大きくなっていった
追い詰められた新政府は警官隊や暴力団を使って民主化運動の鎮圧を計った
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19世紀末 西南戦争 西郷隆盛の最後 |
1877年 新政府を離脱し鹿児島へ帰っていた西郷は貴族に押され政府軍と戦う事になった
そこに3万人もの元武士が結成し新政府軍と戦った そこに西南戦争が勃発する
西郷は半年間戦い続けたが最後は城山(鹿児島県)で切腹した。
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19世紀末 初代総理大臣 伊藤博文 誕生 日本で初めて議員制の政治が行われる |
1878年 大久保利通は仕事に向かう途中 6人の元武士に襲われ殺害される
1885年 伊藤博文(旧1000円札でおなじみの)が初代総理大臣に任命される
1889年 伊藤博文が10年かけて国会を立ち上げる 伊藤博文を中心に近代的な憲法が作られた
1890年 選挙で議員が選ばれ 第一回帝国議会が開かれた 伝統のあるイギリスの議会制度をまねて作られた。
その時やっと欧米諸国から独立国家として認められるような国家体制が整った
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19世紀末 朝鮮半島の領有権をめぐり 日清戦争が勃発する。 |
1894年~翌年にかけて 富国強兵で軍事力をつけた日本は朝鮮の領土を狙っていた
ちょうどその時 朝鮮で反乱がおき日本は反乱を抑える目的で朝鮮へ兵を送った
同じく清(中国)も朝鮮を占領する絶好の機会と(日本同様 反乱を鎮圧する言う目的で)朝鮮に軍を送った
当時 朝鮮は鎖国をまだ続けていたが 日本同様 欧米諸国の圧力に屈し国が乱れていた
まもなくして朝鮮での反乱は収まった朝鮮王朝は日本と清に兵を引き上げるように要請する
しかし清も日本も今度は 頼んでもいない朝鮮の改革の手助けをするため兵を駐留させると言ってきた。
やがて両軍は朝鮮半島の領有権をめぐりって戦争を起こした。そこに日清戦争が始まった。 日本軍はその時 初めて近代兵器を使用した。
ちょうど清は王朝末期で 女帝で悪女の西太后の浪費など 幕末の徳川同様 かなり腐りきっていた。
そのため結果は気迫で勝った日本の圧勝だった
日本は清から多額の賠償金を受け取り さらに清朝から朝鮮半島だけでなく中国東北部の遼寧半島と台湾の領地を獲得する
1895~1945 までの50年間 日本が台湾を統治する
当初 日本は台湾人の抵抗にあい7万の兵を台湾に送り込み 7か月間で死者が5300人ほど出た
その後も日本の台湾人に対する弾圧は厳しく結果1万人以上の台湾人が殺された
日本語教育の徹底と天皇陛下の神格化など日本による同化政策がとられる 当時 中国語を話せなかった原住民に日本語を教えた
さらに日本は日本本土よりも優れたインフラ設備 鉄道 道路 病院など を台湾に作った
1897年 日本で富山のコメ騒動が起こる そこで日本政府は日本国内の米の確保のため台湾の用水路を建設を容認した
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19世紀末 領土争奪編 三国干渉 日本VSロシア(ロマノフ朝) 第1ラウンド |
1895年 帝政ロシア(ロマノフ朝)は日本が日清戦争で手入れた。清(現 中国)東北部の遼寧半島の領土を狙っていた。
ロシアはヨーロッパでドイツをフランスを仲間につけ 日本に清(中国 大連)遼寧半島を引き渡せと要求する それを三国干渉と言う
日本はロシアとの戦争を避けたかったので清(中国)遼寧半島を引き渡した。
その後 ロシアは大連を含む遼寧省だけでなく吉林省や黒竜江省など清朝(中国)東北地方の すべて占領する
今でも中国東北部にはロシア人が作ったハルビンの聖ソフィア大聖堂や大連のロシア人街など多くのロシア風の建物が残っている
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