国内、海外、合わせて全12か国から7月に行われる祭りや行事について
スリランカ |
7月から9月は最もゾウが多く出現する 多いときは300頭を超える
(エサラ ペラヘラ祭り) 毎年7月~8月に行われるスリランカの象祭り 400年の歴史がある伝統の祭り
仏教徒とヒンドゥー教徒の祭り 2000年続いたシンハラ王朝の栄華を今に伝える祭り
※2019年7月7日(日) – 2019年7月17日(水) 毎年 祭りの準備は5月から始まる
(ギリハンドゥ サーヤ ヴィハーラgirihandu seya)
海でイルカやクジラが見られる ベストシーズンは7月~8月
ジャフナ (ナッルール カンダスワミ寺院)毎年7月~8月に大きな祭りが開かれる
毎年7月~8月にかけて カタラガマ大祭 火渡り が行われる ジャングルに石窟寺院がある
フィンランド |
(奥さん運び大会)毎年7月に開催される 優勝者には奥さんの同じ主さだけのビールが送られる
そのほかサウナ我慢大会も開かれている
毎年7月にオペラフェスティバルが開かれる
ニューカレドニア |
冬にあたる7月~9月はクジラが多くあらわれホエールウォッチングが楽しめる
オーストラリア(ケアンズ ホエールウォッチング)シーズンは7月~8月 参加料は99ドルもするが
もし運悪くクジラが見つからなかった場合は 翌日 無料で船に乗せてもらえる
ハワイ |
ハワイ(トローリングツアー)毎年7月から8月にかけて大物を釣り上げることが出来る
ハワイ(カマワオ) 毎年7月4日のアメリカの独立記念日にロデオ大会が開かれる
店先には馬をつなぎ留めておくためのポールが建っている
ハワイ ラナイ島
毎年7月4日の独立記念日の日にパイナップルフェスティバルが開催される
イラン |
アルメニア修道院(イラン) 毎年7月にあるマニア人が訪れ3日間に及ぶ儀式が行われる
インド(ダラック) |
インドのチベット仏教(ピャンゴンパ)ツォカンと言う部屋には壁画が展示 7月~8月にかけて仮面舞踊祭が開かれる
モンゴル |
7月は モンゴル人とモンゴル系民族にとっての1年の始まり
つまり正月にあたります。 モンゴル国内だけでなく中国でも ナーダムと言って壮大な祭りが開催されます。
モンゴル人にとっての正月〃ナーダム〃 に関するさらに詳しい情報 は こちらをご覧下さい。
モンゴル人にとっての正月〃ナーダム〃 に関するさらに詳しい情報 は こちらをご覧下さい。
中国 |
伊寧イーニン(中国ウイグル)〇サイラム湖 草原の塩湖(7月ナーダム開催)
ラオス 7月 雨季のカオパンサー
西寧 中国 青海省〇タール寺(塔爾寺)〇タンカ祭り(毎年7月開催)
都蘭(中国 青海省 青海湖の西) 7月 夏でもよく雪が降り -3度になる
タイ |
ウボンラチャターニー(タイ カンボジア近く)〇7月ろうそく祭り
バングラデッシュ |
雨季(6と7月) 毎年 夏の終わりにサイクロンがやって来る 国土の3分の1が増水
アラスカ |
アラスカ〃デナリ〃とはネイティブアメリカンの言葉では偉大なるものの意味
夏場のみ入場可能 花々が咲き乱れる7月が最も奇麗 紅葉は8月下旬から
9月下旬から5月中旬までの間はゲートの門が閉められる また1972年以降 一般車の乗り入れが禁止されている
アラスカ(ワールドエスキモー インディアンオリンピック)
毎年7月に カナダとアラスカ各地 原住民が集まり開かれる祭りがある
その祭りの様子と伝統的な文化を紹介した施設
日本 |
日本 水戸 納豆大食い大会の様子
肩からおしりにかけて〃どっぷり〃としたお肉を付けた水牛がその有り余ったぜい肉をタプタプさせながら歩いて来ました。
その後その牛を巡って壮絶な戦いが繰り広げられるのでした。すると会場にはもう既にブクブクに太った水牛のような男たちが集まっていました。
そして審判の試合開始を知らせる笛が鳴らされると同時にその男たちは一斉に目の前に山盛りとなったステーキとハンバーグめがけて食らいつきました。
どうやらそこは大食い大会の会場のようでした。会場では各選手が食べ終えた食器を積み重ねる音が鳴り響いてました。
しばらくすると机の上には食器が積み重ねられた山が出来てました。そんな中ひときわ背の高い食器の山を見つけました。
その食器の奥で静かにステーキを食べていたのは なんとあの〃ギャル曽根(小柄なの女の子)〃でした。もちろん その試合は曽根さんの一人勝ちでした。
しかも 大男たちは顔中ソースまるけなのに対して曽根さんは何とも綺麗な食べっぷりでした。
そして大食い大会といえば毎年7月10日の水戸の日(〃語呂ごろ〃合わせ)に合わせて水戸納豆の早食い世界大会が行われます。
一応 世界大会とはなってますが 何故か出場選手は日本人ばかりでした。
ちなみに毎年7月10日は〃なながとう〃あると言う事で納豆(なっとう)の日だそうです。
そして会場では選手たちが一列に並び一斉に納豆を食べるのですが食べているときの顔がみんな無表情なのでとても不気味な光景でした。
でも そんなに勢いよく納豆を食べたら次の日 納豆が大腸のあたりでつまり きっと便秘になるでしょう
しかし 残念ながら まだその大会に曽根さんが出場したという情報はありません。
(※↓以前 中国 広州で曽根さんが大暴れしたときの記事はこちらです。当時の彼女のハチャメチャぶりがうかがえます。)3年前に書いたブログです。
ーーーーーこのあと納豆発祥の地を見に行きます。
つづきをどうぞ
仙台七夕まつり1 真夏のオアシス
真夏の青空に焼けるような太陽が真っ白に光り輝いていました。熱さゆえか目の前のあらゆるものがゆがんで見えて来ました。
とりあえず猛暑を避けるために商店街のアーケードの中に避難することにしました。そしてそのアーケードの中で見つけたのは宙に浮くアサガオと金魚でした。
その金魚はチリンチリンと静かな音を立てながら涼しそうに泳いでました。どうやらそのお店はたくさんの風鈴を売っているお店でした。
その風鈴の涼しい音色を聞いただけでなんだか体温が下がったような気がして来ました。
さらにアーケードの天井には人々を真夏の灼熱地獄から解放してくれるような綺麗で涼しい飾り付けがされていました。
様々な涼しい色で表現されたその飾りつけは天井から床に向かって流れ落ちる滝ようでもありました。
その涼しげな飾り付けの滝のトンネルくぐっていると天井にひときわ光り輝く一組のカップルを見つけました。
その仲むつましい2人の姿はまるで一年ぶりの再会の様でした。さらにその立派な体格の男の隣にはその男よりも大きく立派な牛がいました。
そして見るからに綺麗で美しい女性の隣には大きな〃はたおりき〃がありました。どこかで聞いた話だと思い慌ててカレンダーを見たら案の定 今日は7月7日でした。
ということは…..やはり その男の胸には〃ひこぼし〃の文字がそして女性の胸には〃おりひめ〃と書かれた名札が付いてました。
そうです 今日は年に一回だけ開かられる七夕(たなばた)まつりの日でした。
ーーーーーこのあと宇宙の果ての天の川で繰り広げられた七夕に関するラブストリーをお伝えします
仙台七夕まつり2 宇宙の大河〃天の川〃
地球上にも幾つかの大河があるように遥か彼方の宇宙にも数え切れないほどたくさんの星々が流れる大河があります。
それは人があまり住まない環境の場所で夜間のみ天空に姿を現す夜の川〃天の川(あまのがわ)〃です。その天の川の近くにひときわ輝く一つの星が夏の星座の織姫星です。
その織姫星のあたり一帯にはたくさんの神が住む村があるそうです。そしてそこが織姫の故郷でもあります。
ところで彦星はと言うと天の川の対岸のかすかに光るあまり目立たない星だそうです。かつては彦星も織姫も同じ場所で仲良く暮らしていたそうです。
しかしそこには彦星と織姫のつらく悲しい涙の物語がありました。
その昔 中国の古い伝説では天の川の織姫星のすぐ近くにもう一つの光り輝く星があったそうです。その星がかつての彦星だったそうです。
彦星はそのとき天の川のほとりの村で牛飼いをしながら神様の食事の世話をしていたそうです。さらに彼は村一番の働き者で神様からの信頼も厚かったそうです。
そしてもう一人の働き者が神様の衣服の世話をしていた織姫でした。ある日 織姫は織り上がったばかりの布を送り届けるため馬車に乗り外に出掛けました。
しかしそのとき不意に事故にあってしまいます。そのとき助けに入ったのが偶然そこを通りかかった牛飼いの彦星でした。そのことがきっかけとなり2人は付き合いだすようになります。
そしてやがて2人はめでたく結婚することになります。そのときは村の神様たちも働き者の2人が結婚することに大賛成の様でした。
ーーしかしこのあと2人を引き裂く大事故が発生します。
仙台七夕まつり3 織姫と彦星に突然 起こった悲劇
織姫と彦星の結婚生活が始まると仕事のことは忘れ2人は来る日も来る日も天の川のほとりで寄り添うようになります。
すると村の神様たちの服や食べ物が不足するようになります。そしてそのときとうとう神様たちの怒りが頂点に達し大きな稲妻となって彦星と織姫めがけて落ちました。
そのとき雷の直撃を受けた彦星は何万光年か離れた遠くの宇宙に吹き飛ばされてしまいました。
その後 愛する彦星を失った織姫は天の川が決壊しそうなほどの涙に溢れ泣き崩れたそうです。その可哀そうな織姫の姿を見た村の神様たちは考え方を改め直したそうです。
そしてその神様たちの計(はか)らいで年に一回 7月7日に限り彦星と織姫が会えるようにしたそうです。
地球上では毎年7月7日 織姫星がいつも以上に明るく光を発するそうです。それは彦星と1年ぶりに会った織姫の喜びの光だそうです。
そして数年に一度7月7日に降る雨は織姫の嬉し涙だと言われてます。
さて 実は現代社会では外灯などの光害により夜空の星が見えずらくなっているそうです。
そのせいもあって今 世界の3分の1の人々が天の川を見たことがないそうです。日本に至っては実に7割の人が天の川を見たことがないそうです。
僕は旅行中に何度か天の川を見たことがあります。その中でもモンゴルの草原で見た天の川が最高に綺麗でした。
またモンゴルの場合は頭上だけでなく正面を見れば遥か遠くの地平線の向こうに天の川が見えます。
皆さんも山に行った際はどうぞ忘れずに夜空を見てください。そこには降って来そうなほどの大量の星々から成る天の川を望むことが出来るでしょう
ーーーーこのあと日本の七夕祭りの数千年にわたる歴史についてお伝えします。
仙台七夕まつり4 その伝統は中国から日本へ
七夕の話は今から約1800年前の中国で始まったとされてます。そのころ中国では毎年旧暦の7月7日に乞巧奠(きこうでん)と言う祭を行っていたそうです。
その祭の時に人々は夜空の天の川に向かってお祈りをしたそうです。彦星には田畑の豊作とそして織姫星には裁縫の上達を願っていたそうです。
時が過ぎいつの間にか中国では乞巧奠(きこうでん)の祭りは行われなくなりました。が しかし日本では七夕(たなばた)と名前を変えて今でもその伝統と文化を受け継いでいます。
その日本で初めて七夕が伝わったのは今から約1500年前とされてます。毎年7月6日の夕方から7日にかけて水の神様に豊作の祈りをするためその儀式は行われていました。
それは〃たなばたつめ〃と呼ばれる若い女性が川の近くで織物をする儀式でした。当時は織り機のことを〃たなばた〃と呼んでいたそうです。
2本の竹の間に糸を吊るし掛けていたそうです。その糸がのちに七夕のとき竹の枝に願いを書いて吊るす短冊へと変わっていったそうです。
その儀式は7月の7日の夕方に行われていたので七夕と書いて〃ひちせき〃と呼ばれていたそうです。
しかしその七夕は千数百年もの長い間 一般の人には知られることなく天皇や貴族だけが行う祭りだったそうです。
そして今から約400年前の江戸時代初期にあの伊達政宗公が女性の文化向上のため仙台で七夕まつりを広めたそうです。
さらにその100年後 寺小屋で学ぶ子供たちによって七夕の文化は日本中に広まったそうです。
昭和20年(71年前)の第2次世界大戦のとき仙台はアメリカ軍の大空襲にあい焼け野原になってしまいます。しかし戦後 七夕まつりは見事な復活を遂げます。
そして今では仙台七夕まつりは東北三大祭りの1つに数えられ さらに例年200万人以上の人が訪れる大きなイベントになりました。
ーーーーこのあといよいよ待ちに待った仙台七夕まつりが始まります。 続きは後日公開します。
仙台七夕まつり5 平和への願いを込めて百万羽鶴の平和七夕
実は現代の七夕まつりは7月7日には行われないようです。
仙台七夕もほかの東北の祭りと同じように夏休みに合わせてか本来よりも一か月遅い8月6日から8日までの3日間にわたって行われます。
七夕祭りの飾りつけは商店街の人々が何か月もかけて作るそうです。商店街には10メートル以上の竹を差し込む穴が用意されているそうです。
さらに天井に吊るされた滑車と紐を使い涼し気な飾りつけを次々と吊り下げていきます。
祭り期間中は大小さまざまな企業のロゴが入った飾り付けを目にすることが多いです。中には1本数百万円もする飾り付けもあるそうです。
大規模な飾り付けがされるのは一番町や中央通りなどのアーケード街と仙台駅周辺だそうです。
七夕まつりの初日の原爆の日には全国からなんと100万羽の折り鶴が送られてくるそうです。その折り鶴を18万羽ずつ5つに分けられそれぞれの場所に飾られるされるそうです。
その大量の折り紙作業は気持ちが遥か遠くの天の川(宇宙)まで飛んでいきそうなそんな気の遠くなる作業でした。またそれらの飾り付けを平和七夕と言うそうです。
夜 祭りが終わると一部の飾り付けを取り外し残りの飾りは折りたたむようにしてビニールで包んでいくそうです。そして通行人が触れられない高さまで引き上げるそうです。
そうやって深夜 早朝の飾り付けの盗難や破損を防いでいるそうです。
ーーーーこのあと七夕の7つの縁起のいい飾り物を紹介します。
仙台七夕まつり6 7つの縁起のいい宝物
そもそも江戸時代の仙台七夕は白地の紙に黒い模様を描いた地味な飾り付けであったそうです。
それがどうして今のような鮮やかな飾りつけになったかと言うとそれは仙台が過去に起こった数々の悲劇が影響してました。
仙台は昔から相次ぐ戦争で何度も衰退(すいたい)の危機に直面しました。
そのたびに町の人が地域の復興と商店街の活性化を目指して次第に仙台七夕まつりも豪華になっていったそうです。
また仙台七夕では七夕の〃七〃にちなんで7つの大事な飾る付けがあるそうです。
1つ目は竹の枝に吊るされた短冊(たんざく)です。これはよく見かけるお馴染みの願いも事を書く札となります。
2つ目の紙衣(かみこ かみころも かみきぬ)は和紙で出来た和服の飾り物です。病や災いを防ぎ さらに裁縫が上達する効果があるとされてます。
3つ目の折り鶴は平和の象徴さらに健康と長寿の期待が望めます。そして4つ目の巾着(きんちゃく)は小銭入れのような形をしていて貯蓄と商売繁盛の願いが叶えられます。
5つ目の投げ網は綺麗に切り込んだ紙が網のような形をしています。こちらは豊漁を願うものになってます。
そして6つ目はくずかご(ゴミ箱)も綺麗な網目模様で出来ていてその中には飾りつけを作る際に出た切りくずが入ってます。
こちらは清潔と倹約(けんやく)や節約を願ったものになってます。
そして最後の7つ目は宇宙の流れ星が洪水のように流れ出しその様子を色鮮やかな飾りつけで表現した吹き流しです。またこの吹き流しは織姫の織り糸を現しているとも言われてます。
この吹き流しは5本で1セットとして1つの竹竿に飾られるのが正式な飾り付けとされてます。
これら仙台七夕の飾りつけはビニール等の素材を使わず全て和紙等の紙で作られているそうです。
それらの竹飾りの数はなんと3000本にも達するそうです。さらに七夕まつりの期間中は仙台市内で花火大会も行われるそうです。
ーーーーこのあと1980年代に流行った懐かしのアニメが一宮七夕まつりに登場します。
一宮七夕まつり1 人気アニメが大活躍の一宮七夕まつり
アドバルーンほどの大きさの青い頭はドラえもんそして頭に角を生やした背の高いロボットはガンダムでした。その後ろには なんとも大きなドラゴンボールの悟空までいました。
それは子供の頃の家の隣の看板屋で見た光景です。それら1980年代に流行ったアニメは全てベニヤ板で出来た作り物でした。
僕の実家は愛知県一宮市はその昔 織物が盛んな所であったためか毎年7月末には織物の達人 織姫にちなんだ祭り七夕まつりが開かれます。その祭りは市を挙げての大イベントでした。
そして僕の家は看板屋に挟まれた場所にありました。そのため子供の頃から毎年6月から7月にかけて隣の看板屋でいち早くこれらの祭に使われるアニメのだしを見ることが出来ました。
子供の頃は七夕の花飾りより断然こちらのアニメのほうが好きでした。そして夏休みの始まる前夜に七夕まつりも始まるのでそれが何よりも嬉しかった思い出があります。
さあ祭り当日 商店街のアーケードの入り口のところにはもう既に天井から地面に向かって涼し気に流れる滝のような飾り付けがされていました。
その滝の様な飾りつけのトンネルをくぐると天井すれすれに設置された大きなアニメのスーパーヒーロー集団を見ることが出来ます。
ーーーーこのあとベニヤ板で出来たスーパーター(アニメキャラクター)が動き出しビックリします。
一宮七夕まつり2 きっと来るかつての栄光
愛知県一宮市の狭くて小さいアーケード街には入りきれないほどいっぱいの人気アニメの大集合してました。そして彼らはそこにファンタジーの世界を造り出していました。
しかしそのころ子供だった僕でもそれらが作り物だと言う事くらいは分かっていました。しかしその後〃あっ〃と驚く出来事が発生します。
それまでピッタリと静止していたゲゲゲの鬼太郎の目が突然 緑色に光り出しモクモクと煙を立てながら まるで蒸気機関車のように動き出しました。
僕はそれを見たとたん腰を抜かし開いた口がふさがらずあごが外れそうになったのを覚えてます。
まるで作り物のアニメに魂が吹き込まれたようなそんなリアルな演出に僕は子供ながらに絶句(ぜっく)しました。
まるでアニメ映画を見終えた気分でアーケードを抜けるとそこには古代の日本を思わせるような気品と風格に満ち溢れた真清田神社が現れます。
その神社は一宮市民の憩(いこ)いの場となってます。また大晦日と初もうでの時には多くの人が参拝に訪れます。
しかしそんな賑やかだった時代はいつの間にか通り過ぎ1990年代以降 日本は失われた20年と言われるほどのどん底の不況を味わうことになります。
その影響からか一宮七夕まつりもいつの間にかスーパースター(アニメ)不在の祭りとなってしまいました。
一方 天下の仙台七夕まつりも飾りつけだけで動きがないため ほかの東北の迫力ある祭りに比べて物足りないとの声もあります。
そのため本来の七夕とは関係ないダンスパレードや音楽コンサートで祭を盛り上げようと頑張っているみたいです。
数年後きっと日本にもかつてのような好景気が訪れると僕は信じています。
そのときは七夕の花飾りが仙台や一宮の夜空を自由気ままに飛び回るそんな動きのある素晴らしい祭が見られるでしょう
東京ディズニーシー55 〃日本伝統の祭り〃七夕まつり
夏 真っ白な空に暑さが頂点に達した太陽が〃ジリジリ〃と悲鳴を上げているようにも見えました。さらに暑さに耐えながらも必死に鳴き続けるセミの姿がありました。
そして夏と来れば喉を〃つるっ〃と潤(うるお)すソーメンが たまらなく美味しい季節でもあります。
さらに〃チリンチリン〃と涼し気な音色(ねいろ)の風鈴が夏の暑さを紛らわせてくれます。
そしてその時期 町には風鈴よりもっと涼し気な飾り物がありました。それが流れ星を様々な色で表現した〃七夕まつり〃の飾りつけでした。
その七夕の物語の舞台は千年以上前の夜空を流れる天の川でした。そこには織姫(おりひめ)と言う織物上手の娘と彦星(ひこぼし)と言う牧畜(ぼくちく)と農業に優れた男がいました。
そして2人とも普段は神様のお世話をしていました。しかしある日 2人は引き付けあうように出会うのでした。その後 恋に落ちた2人は仕事がおろそかになってしまいます。
そしてついに神が怒り2人は離れ離れになってしまうにでした。しかし神の粋(いき)な計らいで年に1回だけ会う事が許されたのでした。それが七夕の日と言う事でした。
七夕の発祥は大昔の中国ですが今は中国より日本人に親しまれている祭のようです。(※詳しくは宮城県の仙台七夕の記事をご覧ください。)
そして今日がその七夕の日でした。さらに織姫と彦星は遠き宇宙の天の川を離れ千葉県の東京ディズニーシーに来てました。
さらに2人は弥生時代(千年以上前)と思われる衣装を着てました。そして一年ぶりの再会とあって2人とっても嬉しそうでした。
そしてその嬉しさが頂点に達したときついにその気持ちが歌となって現れました。そして曲はもちろん♪笹野葉~さあらさ~ら~~♪♪と歌っていうのは なんと僕だけでした。
そのとき屋外ステージでかかっていた曲はピノキオのテーマ〃星に願いを〃でした。さらにその歌を歌っていたのは なんと織姫と彦星ではなくミッキーとミニーでした。
一瞬チクショウと思ったけど..それでもアメリカ生まれのミッキーとミニーが日本の伝統的な祭りを祝ってくれて本当は内心嬉しかったです。
ーーーーーこのあと東南アジアのマレーシアとタイの水に関する話題からです。
つづきをどうぞ
また日本国内では 七夕祭り ほか
7月30日, 明治天皇祭(東京)などが開かれます。
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