川越祭り(埼玉)1複雑骨折したかと思うくらいの骨の折れる作業!
ドイツのドレスレンには白と黒のまだら模様の大きなお城のような教会がありました。その教会を聖母教会と言います。
その教会は第2次世界大戦のときの連合国軍(アメリカやフランスなどの国)の空爆により粉々になるまで破壊されてしまいました。
その後 戦争が終わりドイツにも平和が訪れそして聖母教会も復元される事になりました。そのとき なんと瓦礫を一つ一つ拾い上げて組み立てていったそうです。
聖母教会の壁の白いところは新しい素材で黒いところは奇跡的に残った古い瓦礫をそのまま使用したそうです。
それは まさに気持ちが宇宙の果てまで飛んで行きそうな そんな気の遠くなるような作業であった事は間違いなさそうでした。
そして埼玉県の川越でもそんな気の遠くなるような組み立て作業が行われてました。そこには体育館の床一面にズラリと木材が並べられていました。
そこに集まった とび職人は それぞれ形の違った木材をひとつひとつ拾い上げ起用に組み立てていました。職人は一本も釘を使わずに次から次へと木材をはめ込んで行きます。
それは なんと明治30年(119年前)から人々に受け継がれてきた伝統ある川越まつりの山車(だし)でした。もちろんそんな古い物に山車を組み立てる為の設計図などはありません。
職人は長年培った勘だけを頼りに組み立てて行きます。山車は毎年20人の職人が2日間かけて組み立てて行くそうです。
しかし近年 山車の老朽化と さらに不況と人手不足が重なり祭りを支える職人も非常に困難な状況が続いているそうです。
それでも職人は ご先祖様からから預かった大切な宝物を後世にいい状態で引き継ぎたいと頑張っているそうです。
そうこうしている間に体育館では職人の組み立て作業が終わりそこには 何とも立派な山車が完成してました。
ーーーーーこのあと川越で人の波に乗っていろいろなものが流れてきます。 つづきをどうぞ
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