クメール朝(カンボジア タイ ラオス) 紀元9世紀~紀元15世紀
紀元7世紀 クメール朝(カンボジア タイ ラオス) |
ワットプー ワット寺 プー山と言う意味 遺跡はプーカオの山のふもとにある チャンパーサック アンコールワットの原型と言われる遺跡
今はラオス人しかいないが昔は多くのクメール(カンボジア)人が暮らしていた。
紀元9世紀 クメール王朝(カンボジア タイ ラオス) プノンバケン |
〇プノンバケン 9世紀に建てられた 夕日の名所 周りに山が少ないため高く見える 観光用の象に乗れる 16世紀以降ヒンドゥーから仏教寺院へと変わった
コーケー(巨大遺跡) |
〇コーケー(巨大遺跡)
プレアビヒア |
プレアビヒア(カンボジアタイ国境)領土問題 軍事施設内にある遺跡 目玉は崖からの絶景
タイ名(カオプラウィハーン 9世紀末の遺跡 赤いドクロは足元の地雷注意の看板
紀元10世紀 クメール王国(カンボジア タイ ラオス) バクセイチャムクロン |
〇バクセイチャムクロン(10世紀初頭 仏塔)
東メボン |
〇東メボン(952年 10世紀 大きな土台といくつかの仏塔からなる巨大遺跡)
紀元11世紀 クメール王朝(カンボジア タイ ラオス) 西バライ |
〇西バライ(カンボジア シェムリアップ) 人口の貯水湖 小島は王だけが上陸を許された 周囲20キロ 今はフランス製の機械で水位を調節
9世紀から5つの貯水湖が作られたその中でバライが最も大きい
ベンメリア |
〇ベンメリア(シェムリから70キロ)花の池と言う意味
パプーオン ヴァルマン2世 |
〇パプーオン11世紀中期 ヴァルマン2世 ヒンドゥーのピラミッド型 隠し子と言う名前の付いた遺跡 その昔王妃が自分の子供を隠したという話
タケウ |
〇タケウ(カンボジア 11世紀初頭 ピラミッド型巨大遺跡)
ピミアナスカ |
〇ピミアナスカ(11世紀初頭 ピラミッド型の土台遺跡 高さ20メートルくらい登れる)
ワットエクプノン |
ピーマイ遺跡(タイ) |
〇ピーマイ遺跡 タイのアンコールワットと言われる大きな遺跡 1964~1968年に修復
サ カンペーン ヤイ(タイ) |
〇サ カンペーン ヤイ 11世紀の遺跡(シーサケート)
紀元12世紀 クメール朝(カンボジア タイ ラオス) |
アンコール王朝(クメール朝)は実力主義で世襲ではなかった 12~13世紀 インドシナ全域を制圧する
1431年アユタヤ王朝によって滅ぼされる
アンコール王朝が繁栄した当時の都市ランキング1スペイン コルドバ2宗の開府3ローマ コンスタンチン4アンコール5京都の順
アンコールワット |
(歴史)
12世紀にジャヤパルマン2世(征服王)によって建てられた遺跡 建設期間は33~35年 9500~一万人が建設に携わった 背景人口は40~50万
33キロ離れた石切り場から石が運ばれた 遺跡はずっと人々に忘れられていたが150年前フランス人の昆虫学者により発見された 周囲5.5キロの遺跡
十字回廊は昔 金と漆(うるし)で装飾されていた 中央神殿の壁際で自分の胸をたたくと太鼓のように響く 昔の人はそうやって体の中の悪いものを出していた
(アンコールワットの大きさと広さ)
800年前に造られたヒンドゥー寺院 東京ドーム41個分の広さ 塔の高さは65メートル 参道のナーガはニシキヘビがモデル
桟道は東西南北が正確に測られているため春分秋分の日には参道から見て塔のど真ん中から太陽が昇るようになっている
カンボジア人は入場無料
ーー中央塔には一人30分に限り搭乗する事が出来る 梯子の様な急な石段を上る
ーーデバダー(アプサラ) 宮廷舞踊の踊り子 一体一体違う服と違う表情で作られている 踊り子の中に一人だけ歯を見せて笑みを浮かべている彫刻がある
(宮廷舞踊)内戦中 9割の舞踊関係者が殺された
ーー壁画(彫刻)ラーマヤーナ 愛の奪い合いの物語 夕日が当たると柱の影が額縁のようになる
〇気球やボート 馬や象に乗って遺跡巡りをできるツアーもある
メボン(島)の井戸の水位を見てバライの水量を調節していた そのようにして年3回の収穫を可能にした
タプローム |
〇タプローム 大木に覆いつくされた遺跡 12世紀後半に造られた ヒンドゥー寺院 遺跡の建物から木が煙突のように生えている
1860年に発見されたそのままの状態で保存されている遺跡 成長の早い大木は遺跡を飲み込むまでたった50年しかたっていない 大木はスポアンと言うガジュマルの一種
アンコールワット同様のエコーの間がある 壁に穴がありそこには宝石が埋められていた
アンコールトム バイヨン |
〇アンコールトム アンコールワットから50年後に造られた トムとはクメール語で大きな町と言う意味 トムの中央にバイヨン寺院がある
〇バイヨン寺院 遺跡に様々な人の顔 それぞれ違った顔が50以上 観音菩薩の顔 7世紀 チャンパと戦って勝利した壁画が描かれている 象に乗った兵士同士の戦いであった
12世紀末ころジャヤ7世によって建てられた 怪力自慢の力士や曲芸やサーカスが行われていた壁画も残っている
アンコールワットの壁画が伝説を題材にしているのに対して バイヨンの壁画(彫刻)は実生活や実際の戦争を題材にしている
象のテラス |
〇象のテラス スラスラジ(勝利の門)
〇象のテラス(12世紀末 13世紀後半改築 人や象の彫刻が施された350メートルの城壁)
バンテアイクデイ寺院 |
(バンテアイクデイ寺院) ブリア ノロドム シハヌーク アンコール博物館 土の中から頭のない仏像が200体以上発見された
8世紀仏教弾圧を逃れるために埋められた 弾圧で仏教の壁画は削られた 今でも4500体の仏像が埋まっているとされている
〇バンテアイクレイ(12世紀末 東西700南北500メートルの巨大遺跡)
(シェムリから40キロ 東洋のモナ・リザがある巨大遺跡)
王宮(木造建築だったため土台しか残ってない)
プラサットスゥルプラット |
〇プラサットスゥルプラット(12世紀末 12の煉瓦で出来た四角い塔)
ライ王のテラス |
〇ライ王のテラス(12世紀末 細かい彫刻(人の)が施された高さ2めーろるくらいの四角い塊)
スリン(タイ) |
ロッブリー(タイ) |
ロッブリー(バンコクから150キロ) 13世紀の寺院が多く残る
〇寺院多くの猿 サルは神の使いとして多くのえさが与えられる しかしサルが増えすぎて困っている
空き家はすぐに猿の城に 200匹が2500匹に増加 麻酔銃を撃ち避妊手術 猿に銃弾が打ちこまれれる事件も発生
〇プラプラーンサームヨート クメール式の3つの仏塔 サルが多い
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