朝鮮の歴史 13世紀から15世紀まで
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13世紀 蒙古襲来 モンゴル帝国の支配下に! |
1218年
金朝(中国)の黒契丹が朝鮮に侵攻する それを高麗とモンゴル帝国の連合軍が撃退する
1220年~1223年 高麗はモンゴル帝国の属国となる
高麗の一族はモンゴル帝国 元の大ハーンン所へ嫁ぎ 親戚関係を築く
1225年
高麗がモンゴル帝国からの使者を殺害する事件が発生する しかし その時 チンギスハーンは遠征中で高麗はモンゴル帝国の報復を免れた
1231年から1273年(日本の蒙古襲来より約50年前)高麗はモンゴル帝国から42年間に6回の攻撃を受ける
モンゴル帝国 2代目 オゴデイは高麗に(モンゴル使者殺害事件)の報復攻撃をするとの通達を出す。そしてモンゴルの朝鮮侵攻が始まった。
まもなく高麗の首都ケソン(現 北朝鮮)が陥落した。
モンゴルは高麗に対し1万枚の毛皮、2万頭の馬、100万人分の軍服および大量の奴隷を要求した。
1232年
高麗(朝鮮)ではモンゴル帝国の官僚ら72人全員殺害される
高麗は次のモンゴル侵攻に備え江華島(カンファド=ソウル郊外)に要塞を構え 海への戦いに誘い込む作戦に出た。まもなくモンゴルは2度目の朝鮮侵攻を行い北朝鮮を超え韓国まで攻めたが失敗に終わり撤退した。
1235年
モンゴルの3度目の高麗(朝鮮)侵攻で江華島(韓国)は陥落した。
1238年
高麗は一般の人を皇族と偽り奴隷としてモンゴル帝国に差し出した。奴隷を引き取ったモンゴル軍は とりあえず朝鮮から撤退した。
1247年
モンゴル帝国は さらなる奴隷を求めて朝鮮へ攻め込む 4度目の朝鮮侵攻は3年間続いた
1253年
モンゴル帝国は6度目の朝鮮侵攻を行う 最後の高麗(朝鮮)との戦いは6年に及んだ
朝鮮半島はモンゴル帝国の攻撃を受け廃墟となり以後80年間モンゴルの支配を受けることとなる
1281年
元(モンゴル軍) 高麗(朝鮮)連合軍 14万の兵が日本の対馬と博多湾に攻めてきた。2回目の蒙古襲来!
しかし またしても台風が北九州を襲った そのときの蒙古軍の死者は10万とも言われている
台風のおかげで鎌倉幕府は命拾いしたと思いがちだが 実際は蒙古(モンゴル)軍は多民族からなる軍隊で内部で争いが絶えなかった
また元(モンゴル)との戦いで戦費を使いすぎた鎌倉幕府は財政が圧迫 武士を はじめ多くの人の生活が苦しくなった
武士たちは牛や馬を出し命まで懸けて戦ったのに報酬がないと幕府に不満を訴えた
この戦いが鎌倉幕府の崩壊を速めたとも言われている。
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14世紀 その1 高麗が復活する |
14世紀初頭 明は室町幕府(日本)に国交を開く条件として海賊を取り締まるよう要求してきた
義満は さっそく 倭寇(わこう)と言う 当時 日本と朝鮮半島に出没していた海賊を取り締まった
倭寇は九州の貧しい農民が中心となってできた組織で 彼らは生活の場を海に求め やがて海賊となった
14世紀中頃 (1351年)中国大陸では民衆の反乱 紅巾の乱が発生し 元が滅び明王朝が誕生する
(同年)朝鮮半島では元王朝が滅びたことにより高麗が再び半島を統治することとなる
1362年 高麗の都 開京(開城ケソン)は中国大陸で元王朝を屈服させた紅巾賊に占領されていたが 高麗軍が紅巾軍を撃退し撤退させる
1370年 高麗は建国 間もない明の属国となる
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14世紀 その2 李王朝が成立する |
14世紀末 朝鮮半島は常に大陸から侵略を受け戦っていた
その大陸との戦いで功績をあげた李成桂(りせいけい)が その後 李氏朝鮮を立ち上げることとなる
1392年 高麗内で軍事クーデターが発生し その中から李成桂が李氏朝鮮を建国し 高麗は滅亡した。今のところ李氏朝鮮は朝鮮半島における最後の統一国家である
首都はソウルに置かれ 以降 現在に至るまでソウルは600年間首都であり続ける
李氏朝鮮では高麗(前政権)を否定するためを仏教を排除し儒教を多く取り入れた
朝鮮通信使 室町から江戸時代まで続く日本との連絡係
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15世紀 李王朝時代 |
1401年 李氏朝鮮の建国者 李成桂(りせいけい)は明に朝鮮の王として認められる
1404年 李氏朝鮮は日本の室町幕府と国交を回復する
1419年 李氏朝鮮は倭寇(海賊)退治を理由に対馬に攻め込むが返り討ちに会う
1446年 ハングル文字が発明される
1469年 虎山長城(中国 遼寧省 丹東) 明が後金の侵入を防ぐために建設した。長城は北朝鮮の領土までつながっている
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