朝鮮の歴史 16世紀から18世紀まで
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16世紀 李王朝(朝鮮) VS 豊臣秀吉(日本) |
日本列島を統一した豊臣秀吉は朝鮮に協力を依頼し日本と朝鮮の連合軍で大国 明(中国)を攻めようと考えていた
しかし明(中国)と友好関係にあった朝鮮 李王朝はその要請を断った
それに怒った秀吉は石田三成(みつなり)を呼び出し朝鮮征伐(せいせいばつ=懲らしめる)の命令を下す
当時の朝鮮は李王朝の政治の失敗から人々は生活に苦しんでいた そのため朝鮮人は当初 日本兵を救世主として出迎えたが
やがて日本軍が侵略者だということに気づき激しく抵抗した 戦いのさなか明(中国大陸)が朝鮮の援軍に回った
さらに日本軍は海でも韓国朝鮮の英雄 李舜臣(りしゅんしん)の攻撃に会い壊滅的な被害を受けた
韓国朝鮮では今でも李舜臣(りしゅんしん)は日本の秀吉軍から祖国を守った英雄として知られている
1592年 1回目の秀吉 朝鮮出兵は失敗に終わった

1597年 秀吉の命令で2回目の朝鮮出兵が行われた 14万の大軍が朝鮮に向け出港した その戦いを慶長の役と言う
しかし朝鮮では明の援軍が駆け付けていて さらに日本軍は朝鮮民衆の根強い抵抗にあい苦戦を続けるばかりであった
秀吉は死の直前 朝鮮から兵を引き上げる決断をする
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17世紀 李王朝は清の属国となるが欧米との関係は鎖国体制を取る |
1607年 日本の江戸幕府と李氏朝鮮が国交を結ぶ
1618年 明と李氏朝鮮の連合軍がヌルハチ率いる後金と戦ったサルフの
戦いが起こる 結果は後金の勝利 この戦いがのちの清王朝 建国へとつながった。

1627年 後金は食料と物資を求め朝鮮へ侵攻する 李氏朝鮮との戦いは後金が勝利する

(同年) オランダ人船乗りから大砲の製造法が李氏朝鮮に伝わる
1636年 清のホンタイジが李氏朝鮮を攻める 戦いは清が勝利し朝鮮は清の属国になった
1652年
清とロシアの間で32年間に及ぶ国境紛争が始まる 李氏朝鮮が清の援軍に着く

1668年 朝鮮に13年間 幽閉され日本に脱出したのち帰国を果たしたオランダ人が 帰国後 西洋社会に初めて朝鮮を紹介した 朝鮮幽囚記 と言う本を出した。
1689年
32年続いた清露国境紛争は清(朝鮮)が勝利した。清とロシア(ロマノフ朝)の国境が確定した。
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18世紀 李王朝時代 |
1784年 朝鮮にキリスト教が伝来する
1791年 李氏朝鮮でカトリック弾圧事件が起こる カトリック信者数万人が犠牲になった。その後もカトリック弾圧は断続的に行われた
1796年 水原城(水原華城) 建設 李氏朝鮮 全盛期に建てられた


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