2 オシ 民族対立
ーー2オシ 民族対立
(民族対立)ーーーーオシ(キルギス南部)ーーーー
国全体の人口は 約550万 内キルギス系が69パーセント ウズベク系が15パーセント
そのほかロシア人ほか80以上の民族が住んでいる とりわけ 南部ではウズベク系が半数を占める
そのため 古くから衝突の歴史があった 民族紛争はたびたび起こっている
ーーーーオシュ
(スライマン トー聖山)
2009年世界文化遺産に登録された
(オズギョン オズゲン)
オシェから68キロ 霊廟は地震で一部崩壊
(民族対立のきっかけを作ったのはスターリン)
1924年 ソ連ができて間もないこと スターリンがキルギスとウズベキスタンの間に国境線を引いた。
そのときウズベク系住民も多く暮らすオシュがキルギス側に組み込まれたことが問題だった
ソ連崩壊後 それぞれの国が独立し一つの国の中に2つ以上の民族が暮らすようになり
のちの民族衝突へとつながる
全体では200万人が亡くなり2000万人が被害にあったとされる
(ソ連時代にもあった衝突)
1990年 土地をめぐる意見の違いから武力衝突に発展
キルバス側は住宅地としてウズベク川は農地として使いたいと考えていた
死者 行方不明者 600人 怪我人は4000人 最後はソ連の鎮圧部隊が鎮圧にあたった
その後 16年間 民族衝突は起きていなかった
(キルギスにおけるアメリカとロシアの影響力)
世界で唯一 国内にアメリカとロシアの軍事基地があった国
911のアフガン攻撃の際にキルギスはアメリカに基地を提供する
使用量として200万ドルをいただく
その後 キルギスに基地を置きたいロシアにも5000万ドルで基地を提供する
そのような天秤外交が のちの政権交代へとつながる
バキエフ失職にはロシアの影響が強いとされている
一時アメリカが使用していた マナス空軍基地は2014年に撤去された
※マナスとはキルギスの英雄の名前
一方ロシアはキルギスに4億円ほどの使用量を払いカント空軍基地を使い続けている
(政権交代後の混乱)
政権交代がきっかけで銃撃戦が勃発
政権交代にはロシアやアメリカの政権争いの影響もある
汚職が原因で大統領は追放
暫定大統領(オトゥンバエフ女性)にウズベク系の有力者が選ばれた
政権交代の際 ウズベク系の地位向上を求めた
それにキルギス系住民が反発し暴動までに発展した。
ウズベクとキルギスの衝突
もともとのきっかけは若者同士のケンカだった それが大暴動までに発展した
ウズベク系がキルギスに焼き討ち
ウズベク系もキルギス人の被害にあう 襲われ誘拐
ウズベク系住民は隣国 ウズベキスタンに逃れる
被害にあった40万のうち10万人がウズベキスタンに逃れた
オシからジャララバードに暴動被害は広がる
(昔からあった貧困問題)
もともと貧困問題もあった 昔 ウズベクは定住生活をし キルギス人は遊牧生活を送っていた
定住生活を送っていたウズベク人のほうが裕福であった
特に独立 直後 キルギスの失業率は50パーセントだった
さらにアフガンに近く イスラム過激派も多い
キルギス政府はロシアに平和部隊を要請した しかし断られた
国民投票の結果 暫定政府が統治することになった
(経済)
独立後経済は悪化 しかし今は中国製品がよく売れている
市場には中国製品の山が出来ている
海外と中国国内では質が悪いと悪評の中国製品も ここでは安くて質がいいと好評
中国製品はこの地域に仕事を生み出している
<目次>
1基本情報
2オシ 民族対立
3ビシケク
4イシク クル湖
5中国国境 飲食
ーー3ビシケク
ーー4イシク クル湖
ーー5中国国境とキルギス料理
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