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カウナス リトアニア第2の都市(以前は首都だった時代もある)
(カウナス城 kauno pilis)
当時はリトアニアとドイツ騎士団の国境がここにあった
そこで13世紀 リトアニアはドイツ騎士団の侵略を防ぐために このお城を立てた
(カウナス 旧市庁舎 rotuse)
(ケルナヴェ遺跡)
13世紀から14世紀にかけて リトアニア大公国の首都であった
丘の上には木造の城が建てられた 国王と兵隊の住みかとして およそ1000人の人が暮らしていた
しかし1390年 ドイツ騎士団によりリトアニア大公国は滅ぼされてしまう その時 リトアニアはキリスト教に改宗させられる
(第9要塞博物館 devintojo forto muziejus)
強制収容所跡が残っている 19世紀末には帝政ロシアの軍事要塞ともなった ただ要塞は一度も使われることがなかった
第二次大戦ではナチスドイツがここで5万人の処刑を行った
1925年以降はソ連が政治犯を収容する場所として使用した
(旧大統領邸宅 istorine lr prezidentura kaune)
(杉原千畝すぎはらちうね 記念碑)
杉原千畝すぎはらちうね は1900年 岐阜県生まれ
中国東北部 ハルビンでロシア語を学び 旧日本領事館で外務員を務める
第二次大戦中 急遽ビザの発行を行いナチスドイツに迫害されそうになった6000千人のユダヤ人の命を救った日本人
しかも日本政府からの指示を無視し無償でビザを発給した※当時はコピー機がなかったため手書きのビザとなった※
毎日70枚の手書きビザを一ヶ月間発給し続けた
杉原は帰国命令が出されたが帰国時間のギリギリになるまで手書きのビザを書き続けた
杉原千畝は帰国後 職を解かれるが イスラエルからは勲章をもらっている
杉原千畝は日本のシンドラーとと呼ばれ通りの名前にもなっている
ちなみにオーストリア人の本物のシンドラーさんは自分の工場でユダヤ人を熟練工として雇い1200人ほどの命を助けている
旧日本領事館の会館は普通のアパートのよう 今でも杉原さんがいた頃のまま残っている
現在 杉原さんに命を救われたユダヤ人の子孫が3万2千人ほどいる
(カテドゥロス広場)
(ロ&パウロ ペトロイル ポヴィロ教会 sv petro ir povilo baznycia)
(ペルクーナスの家 perkuno namas)
(ヴィエニーベス広場 vienybes aikste)
(パリジャイスルス修道院 pazaislio vienuolynas)
(リトアニア民俗生活博物館 lietuvos liaudies buities muziejus)
(ヴィタウタス大公戦争博物館)
(国立チュルリョーニス美術館)
(悪魔の博物館)
(医療と製薬史博物館)
(ヴィタウタス大公教会 vytauto didziojo)
(ヴィタウタス大公像 vytauto didziojo paminklas)
<もくじ>
1リトアニアの基本情報
2首都ビリアス
3ビリアス郊外
4その他の名所
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