2 明治後半(1886~1914年)富国強兵 日清日露戦争
英国船ノルマントン号が和歌山県沖で座礁する船長以下英国船員は無事避難したのに対し日本人乗員25人はすべて死亡した
日本は当時イギリスと不平等条約を結んでいたためイギリス人船長他 イギリス人船員は全員無罪となった
1886年 北海道 函館の五稜郭
香川県が愛媛県から独立する
伊藤博文が10年かけて国会を立ち上げる 伊藤博文を中心に近代的な憲法が作られた
第1回衆議院選挙が行われ 300ある議席のうち自由党が130の議席を取り大勝利を挙げる※自由党はのちの時代に民主党と合併し自民党となる※
選挙で議員が選ばれ 第一回帝国議会が開かれた 伝統のあるイギリスの議会制度をまねて作られた。
その時やっと欧米諸国から独立国家として認められるような国家体制が整った
ロシア(ロマノフ朝)の皇太子が日本訪問中に滋賀県 大津で切り付け事件の被害にあう
(同年)岐阜県でマグニチュード8の濃尾地震が発生する この地震で7273名の人が亡くなる 当時の日本において観測史上 一番被害の大きな地震であった
日本(明治政府)はイギリスとの間で不平等条約の改正となる日英通商航海条約が結ばれる
これで裁判での不公平な判決がなくなり 両国が平等に関税をかけられるようになった
1894年(明治27年)~翌年にかけて 富国強兵で軍事力をつけた日本は朝鮮の領土を狙っていた
ちょうどその時 朝鮮で反乱がおき日本は反乱を抑える目的で朝鮮へ兵を送った
同じく清(中国)も朝鮮を占領する絶好の機会と(日本同様 反乱を鎮圧する言う目的で)朝鮮に軍を送った
まもなくして朝鮮での反乱は収まった朝鮮王朝は日本と清に兵を引き上げるように要請する
しかし清も日本も今度は 頼んでもいない朝鮮の改革の手助けをするため兵を駐留させると言ってきた。
やがて両軍は朝鮮半島の領有権をめぐりって戦争を起こした。そこに日清戦争が始まった。 日本軍はその時 初めて近代兵器を使用した。
ちょうど清は王朝末期で 女帝で悪女の西太后の浪費など 腐敗が進んでいた。
そのため結果は気迫で勝った日本の圧勝だった
下関で日清講和条約が結ばれる
日本は清朝から朝鮮半島だけでなく中国東北部の遼寧半島と台湾の領地を獲得する
清にとって台湾は あまり重要ではないと考えていた
実は台湾の人たちは清から 何も聞かされていなかった ある日突然 台湾は日本の領土となった
日清戦争に敗れた清は重慶・長沙・蘇州・杭州の港を開港した
さらに日本は清から 多額の賠償金を頂く
その額は現在の価格で43兆円 国家予算数年分の相当する大金だった
(同年) 帝政ロシア(ロマノフ朝)は日本が日清戦争で手入れた。清(現 中国)東北部の遼寧半島の領土を狙っていた。
そこでロシアはドイツとフランスを仲間につけ 日本に領土の引き渡しを要求してくる それを三国干渉と言う
日本はロシアとの戦争を避けたかったため
清(中国)遼寧半島など日清戦争で清朝から奪い取った領土を帝政ロシア(ロマノフ朝)へ引き渡した。
その後 ロシアは大連を含む遼寧省だけでなく吉林省や黒竜江省など清朝(中国)東北地方の すべて領土を戦わずにして占領する
今でも中国東北部にはロシア人が作ったハルビンの聖ソフィア大聖堂や大連のロシア人街など多くのロシア風の建物が残っている
日本軍と清国の残兵からなる台湾民主国が衝突し 乙未戦争(いつびせんそう)が勃発した。
結果は日本軍の勝利 台湾側に1万4千人の戦死者が出た 日本側も5千人ほど戦死した。そして台湾民主国は滅亡した。
日本が台湾を統治する
当初 日本は台湾人の抵抗にあい7万の兵を台湾に送り込み 7か月間で死者が5300人ほど出た
その後も日本の台湾人に対する弾圧は厳しく結果1万人以上の台湾人が殺された
日本語教育の徹底と天皇陛下の神格化など日本による同化政策がとられる 当時 中国語を話せなかった原住民に日本語を教えた
さらに日本は日本本土よりも優れたインフラ設備 鉄道 道路 病院など を台湾に作った
日本で富山のコメ騒動が起こる そこで日本政府は日本国内の米の確保のため当時日本の統治下にあった台湾で用水路の建設を容認した
(同年) 太平洋沖を震源地とするマグニチュード8.2の明治三陸沖地震が発生する
津波が発生し甚大の被害を及ぼした 4年前に起きた濃尾地震(岐阜)の被害を大きく上回る 当時 観測史上 最も多い 死者行方不明者2万人以上を出す大惨事となった。
清朝国内(中国)で義和団の乱と言う暴動が発生する そこに日本 ロシア イギリスなど8か国が軍事介入し 死者数万人を出す大惨事に発展する 中でも日本は8000人の兵を動員した
事態は8か国の連合軍が北京を占領する形で終結した
(同年) 日本語の平仮名は一つの発音に対して一つの文字に定まった
それまでは一つの発音に対し複数の平仮名が存在していた
20世紀の幕開け |
東京で昭和天皇が生まれる
日本はイギリスと日英同盟と言う軍事同盟を結ぶ
中国東北部を占領した帝政ロシア(ロマノフ朝)は当時 日本(明治政府)が占領していた朝鮮半島にまで攻めてきた。
日本(明治政府)は国土防衛のために立ち上がった そしてそこに日露戦争が勃発した。
日露戦争のさなか ロシアと日本の間で
日本海海戦が行われ 日本海軍はロシアのバルチック艦隊を撃破し完勝する
日本側の戦死者 約5万に対してロシア側は約3万 負傷者も日本側の方が1万人ほど多く 大きな傷を負っての勝利だった
日本は多数の犠牲を出しながらも 何とかロシアの侵略を食い止めた。ギリギリの勝利であったが世界的に日本の知名度も上がり得たものは大きかった。
そのとき幕末に結ばれたロシアとの不平等条約も ようやく改正された。
日本はこの勝利でロシアから中国東北部(満州)の領有権と さらに樺太の南半分の領地(現ロシア領)を獲得した
日本はさっそく極東の新領地に旧樺太神社と言う大きな神社を建てた。
日本はロシアから領土を受けたったが貰えるはずの賠償金が頂けなかった
国民の怒りが爆発し、日比谷焼打事件が起こった。
(同年) 日本の統治下にあった朝鮮で第二次日韓協約が結ばれ それにより朝鮮は外交権を失った
日本が統治する中国東北地方で南満州鉄道と言う鉄道会社が設立する
伊藤博文が中国東北部のハルビン(当時は日本領)で大韓民国独立運動家の安重根に射殺される
日韓併合条約を結び 日本は朝鮮を併合する
日本はアメリカ合衆国と新しい日米通商航海条約を締結し イギリス、ドイツ、フランスおよびイタリアとも同内容の条約を締結した
これで日本は江戸時代から続いていた欧米各国との不平等条約から すべて解消される事となった
アジアの大国 清(中国)は欧米諸国や日本に次々と領地を奪われた 挙句 多額の賠償金を請求されていた
ついに清(中国)の国民の怒りは頂点に達し 清は国内勢力(中華民国)の辛亥革命により滅亡する 清王朝は日本の徳川王朝と同じ260年以上続いた長寿国であった
中国大陸では その後 清を倒した革命勢力(国民党と共産党)が政権を取るため争い内戦状態となる
中国は辛亥革命ののち中華民国が成立された
大陸の大きな王朝 清朝が滅びたのと同じ年(1912年)
日本でも明治天皇が崩御(亡くなり)大正天皇が即位する
<目次>
1 明治前半(1868年~1885年)日本近代化(欧米化)の始まり
2 明治後半(1886~1914年)富国強兵 日清日露戦争
3 大正時代(1914年~1926年)第1次大戦 関東大震災
日本史 そのほか の時代に起きた出来事 |
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