9ヒマラヤの基本情報と 登山の歴史について
ーーーーサガルマータ(エベレスト)登山 8848メートル サガルマータ国立公園
ヒマラヤには8000メートルを超える山が14もある(うち8つがネパール 6つはインドのチベット国境近く)
8000メートルを超える山は世界でヒマラヤのみ
英名エベレスト ネパール語ではサガルマータ チベット語ではチョモランマ
(形成)
ヒマラヤの誕生はおよそ5000万年前 分裂していた大陸が衝突し出来た
大昔 エベレストは海の底だった 海底が1万メートル隆起してできた
その時 海の化石もヒマラヤの頂上まで持ち上がった
アンモナイトやウミユリ(ウニとヒトデの仲間)の化石(5億年前の物)も見つかっている
化石はエベレストの頂上でも発見されている
隆起の後 土砂崩れと流氷により山肌が氷に削られ今のようなギザギザ模様の山脈ができた
頂上からは遠くにチベット高原が見える
さらに化石はカトマンズ付近まで押し上げられた 今も年に数ミリずつ押し上げられている
イエローバンド(岩山に刻まれた多数の横線 氷によって削られた)の地層からもわかる
ヒマラヤは東西2400キロ エベレストが世界一高い山だとわかったのは160年前のことだった
19世紀 チベットもネパールも鎖国をしていたため
エベレストのそれぞれの峰の正確な名前が分からず
イギリス人がそれぞれの峰に番号をつけて呼んでいた
1852年 ピーク15(のちのエベレスト山)が世界一高い山となる
その後 測量長の名前にちなんだエベレスト山という名がついた
<登山の歴史>
全部で15種類の登山コースがあるが
チベット側からとネパール側からの2種類が一般的 北稜(ほくりょうチベット側)と南東稜 ネパール側
ネパール側からのほうが登りやすい
1921年 イギリス人が挑戦するが10回も失敗を繰り返す
登山家マロニーは2度目の挑戦で8400メートルまで到達 3度目で8600メートル
しかし1924年 登山中 行方不明になってしまった。
1999年 マロニーの遺体が75年ぶりに発見された。
一体マロニーの死は登頂前か後か?しかしカメラが見つかっておらず いまだに謎のまま
マロニーの名言 なぜのぼるのか?の問いに そこに山があるからだと答えた
登山開始から30年以上たった 1953年 11回目にして初めてイギリス人が登頂に成功
30人のシェルパのリーダー テンジンノルゲ ニュージーランド人登山家ヒラリーからなるメンバーが登頂に成功
15分ほど頂上に滞在 頂上の空気は平地の3分の1 頂上付近では時間がたつのが早く感じる
その後シェルパの登山技術も向上した シェルパ族が重い荷物を運ぶ
シェルパは最大100キロの荷物を運ぶ
年間数百人の人が頂上を目指す これまでにエベレスト登山に成功したのは4000人以上
しかし登山中に亡くなるシェルパも少なくない 一度登山に出れば2か月は帰ってこれない
これまでに登山中で亡くなったのは140人
小石を積み上げて作られたお墓は登山中に亡くなったシェルパの物
(エベレスト登山中 亡くなったシェルパのお墓) チョルテンチョルテンと言う
亡くなったシェルパは70人以上
シェルパの家族 特に女性は男たちが山に登るのを拒んでいる
1970年 37歳の三浦雄一郎がエベレストの7000メートルのところからスキーで滑降する
三浦は無事だったが シェルパ6人が雪崩でなくなっていた
また同じく1970年 日本人初
1975年 日本人女性初の登頂成功者が出る(田部井 淳子) ※世界でも女性初の登頂成功者
登山費用は合計4千万かかった
ーー国際山岳博物館
女性初の登頂者 田部井さんが登山の時使用した装備を展示
1980年 北稜(チベット側からのルート)初登攀とうはん※登頂成功
頂上には2つの峰がある エベレスト(8848m)とローツェ(8516m)
一年のうち半分は雪に覆われている
危ないところにはロープが張られている 登山者はロープにつかまってよじ登る
ヒマラヤには1200種の高山植物がある
その中で最も高根の花にふさわしいのはシャクナゲという花 ネパールの国の花でもある
シャクナゲは標高2000メートルのところで最もよく咲いている
4000メートルを超えると背の高い植物が育たなくなる
花が咲く限界は5500メートルだと言われてる
チュラマ (チベット語でチュは水 ラマはエライお坊さんの意味)標高4000メートルで咲く花 黄色く背が高く 崖に咲く花
ジャルジャレヒマール(4300メートル)に登ってチュラマを探す
5500メートルでは酸素は地上の3分の2から半分に
高山病になる可能性が高くなる 酸欠による吐き気や頭痛が起こる
低酸素状態では脳が膨張し歩行障害や幻覚を見る 灰や脳に水がたまりなくなってしまう
血液中の酸素濃度を測り高山病対策をとるが下山する登山者も多くなる
登山者は指に挟む小さな機械で血液中の酸素濃度を測定する
高山病にかかったら水を多く飲むといい 改善しなければ下山するしかない
高山病でなくても登山者は氷や雪を溶かし一日4~5リットルの水を飲む
水分不足は血液の流れが悪くなる 血がドロドロになる
酸素が薄いため一気には登らない 上り下りを繰り返し 徐々に上を目指す。酸素純化と言う
フィッシャーバック 袋の中に入って体の気圧を下げる 2000メートルの山に登ったのと同じ効果が得られる
ホテルエベレストビュー3880メートル 登山に6時間
(1971年 日本人探検家がネパール国籍を取って建てたホテル 宮原さん)
オープンテラスからエベレスト山が見える
宮原 巍(みやはら たかし、1934年 – )は日本出身のネパールの実業家、政治家。
4つの名峰があり テラスからの展望が美しい 1泊 220ドル
三浦雄一郎のお父さんも泊まったホテル 石碑がある
年間宿泊客は400人から700人に増えた
地震の後は10キロにわたって落石が転がっていた
2014年4月 史上最悪の雪崩事故が発生し12人が亡くなった
冬の間 ヒマラヤの天気は安定している
<目次>
追加情報 ネパールの歴史1
追加情報 ネパールの歴史2
1ネパールの基本情報
3カトマンズ市内の情報
4カトマンズ(ダルバート広場)
5カトマンズ盆地と郊外
6カトマンズ郊外(ランタン国立公園)
7ポカラとマチャプチャレ登山
8ポカラ発アンナプルナ登山
9ヒマラヤの基本情報と
登山の歴史について
10ヒマラヤ登山
(初級~中級 カトマンズ発)
11エベレスト登山(上級編)
12チトワン国立公園
13ルンビニ(ブッタのふるさと)
14その他の名所
15ネパール料理
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