4ベルゲン
ベルゲン ノルウェー第2の都市 昔から海上貿易が盛んで商人の町として発展してきた
1070年 バイキング王の息子が作った町 900年の歴史がある 12~13世紀にかけて首都だった
13世紀以降は 貿易をしていたドイツ人の拠点となった
そのドイツ商人の住居が博物館となっている またベルゲンはフィヨルド観光の玄関口でもある
年300日雨が降る
14世紀の末 デンマークのフレデリック2世はベルゲンの荒れ果てた城を立て直した。
ハンザ博物館 2024年 春まで工事中
中世から貿易港として栄えたベルゲンは19世紀には北欧最大の大都市の港となった
ベルゲンはタラの出荷で発展した 干しダラはバイキングの食糧としても使われていた 干しダラを水に戻せば生魚のようになる
町の路上には鉄の鎧を来たバイキング人形が立っている
(ブリッケン)ブリッケンとはふ頭や岸壁を意味している カラフルな三角屋根の木造倉庫は世界遺産
13~16世紀にかけて建てられた建物 もともとはドイツ ハンザ商人の貿易事務所だった
ハンザ商人は13世紀ごろからベルゲンに入りこみ 諸外国の商取引に従事るようになった
ハンザ同盟は大量の小麦を持ち込み交易をおこなっていた 漁師が不調の時はハンザ同盟が漁師に小麦を分け与えていた
ドイツ人(ハンザ商人)はハンザ同盟を結びヨーロッパ北部の経済圏を支配していた ハンザ同盟では独身を義務付けていた
ハンザ同盟内で厳格な身分制度があった
さらに若者は2人で1ベットしか与えてもらえなかった
建物が木造であったため火が使えなかった
特に乾燥ダラは重要な輸出品であった 乾燥ダラは屋根裏で保存 かつてハンザ商人が使っていた建物は今は土産物店となっている
その昔 広い間口の家は税金が多く課せられていた※マレーシアマラッカや日本も同じ政策をとっていた
そのため みんな税金対策のため間取を小さくし細長く奥行きのある造りの家を建てた
ただそれらの木造建築は何度も火災にあっている
(ブリアン地区の木造倉庫)ハンザ商人の事務所 兼 倉庫跡 増築に増築を重ねたが
1702年 大火事にあい消失 1955年から 1972年にかけて修復が行われた 発掘調査では12世紀ごろの基礎部分 見つかっている
その時見つかった木材はブリッケン博物館に展示されている
18世紀になるとハンザ同盟は力を失う
1944年(第2次大戦中) ベルゲンでドイツの戦艦が大爆発を起こした。
(ベルゲン急行 ベルゲン鉄道) 1902年に完成した首都オスロと第2の都市ベルゲンを結ぶ距離471キロの鉄道
車内は木製づくり ヨーロッパ屈指の絶景地をめぐる 飛行機なら1時間(ベルゲン~オスロ間)のところベルゲン鉄道は7時間
途中フロム鉄道に乗り換える
(魚市場)
魚市場ではキャビアの瓶詰が500円ほどで売っている ノルウェーはんぺんはフィッシュケーキと言う
ベルゲン港はヨーロッパ最大の港
(ベルゲン駅) ドーム屋根 壁には昔のベルゲンの様子が描かれている
(観光案内所)1862年 建築のベルゲン銀行の建物を改築
(ケーブルカー)
市内から10分のところにあるケーブルカーに乗って丘の上に登り
標高320~642メートル 頂上到着までは7分 頂上からは街を一望することが出来る 夜景も絶景
またケーブルカーは丘の中腹に住む住民にも役立っている フィヨルドが見えるネプチューンホテル
(マリア教会)12世紀のロマネスク様式の教会でベル弁で一番古い かつてはハンザ商人たちが通っていた
(クジラ肉料理レストラン)ブリッゲロフテ&スチューエネ クジラ肉ステーキ 4400円
(ベルゲンエキスプレス)
(ニーナとエドヴァルド グリーグの墓)
ホーコン王の墓 13世紀 ノルウェー王国
ベルゲン美術館
魚市
ハダンゲルフィヨルド ベルゲンの南
ノルウェーでは2番目 世界でも3番目の長さとなるフィヨルド
※世界一はノルウェーのソグドフィヨルド
ヴォーリングフォッセン
(ヴォス)オスロからは1時間 フィヨルド観光の中継地 バイキング時代は一つの小さな王国だった
第2次大戦の時に古い建物の ほとんどがドイツ軍により破壊された
ベルゲンからソグネフィヨルドまでのフェリーが出ている
(フィヨルドサファリツアー)
(トロルトゥンガ トロールの舌) ベルゲンの南
トロールはノルウェー生まれの森の妖精 ハイキングで4時間かかる
<もくじ>
1基本情報&料理
2歴史
3オスロ
4ベルゲン
5ソグネフィヨルドとフロム
6その他の名所
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