(小笠原諸島7)〃硫黄島大決戦-1-〃小笠原諸島 最大の危機!
今から約140年前 明治に入りそのときやっと明治政府が本格的に小笠原諸島の領土獲得に動き出します。日本人の入植もその頃から始まります。
それは小笠原諸島に最初の入植者が現れてから約50年後の事でした。そして 島の欧米系住民もそのとき全て日本に帰化(きか)します。
父島では今でもその欧米系日本人に会う事が出来ます。見た目は欧米人ですけど日本人です。そのためもちろん普通の日本語を話します。
そして時代は昭和(約90年前)に入り小笠原諸島では農業で成功を収める人が増え始めます。
ビニールハウスがなかったその時代 小笠原産の季節外れの野菜果物は本土で面白いように売れたそうです。
そして その頃 小笠原諸島は絶頂期(ぜっちょうき)を迎えます。島民の数も今の約3.5倍の約7000人近くまで膨(ふく)れ上がりました。
一方その頃 日本本土では近代化に成功し欧米列強と肩を並べる(※経済,軍事の面で)ようになります。すると かつて欧米列強がアジアに進出したように日本も近隣諸国に進出します。
やがて日本と欧米諸国が退治する太平洋戦争へと突入してしまいます。開戦当初は日本の連戦連勝で始まりますがその後 戦局はがらりと変わります。
それはヨーロッパ戦線で一応の目途(めど)が付いたとアメリカ軍の本格参戦して来たからでした。
サイパン グアムと日本軍が占領していた太平洋の島々は次々と敵軍に奪(うば)い返されて行きます。そして敵軍はとうとう小笠原諸島のすぐ近くまで迫って来ました。
小笠原諸島にとっての最大のピンチでした。そのとき軍属を除くほとんどの島民は本土に強制移住させられました。そして引上げ中の事故で20人の島民の命が失われたそうです。
島民がいなくなった小笠原諸島に入れ替わるようにしてやって来たのが約2万人の日本兵でした。そして 日本兵たちは小笠原諸島の最初の砦(とりで)硫黄島に結集しました。
ーーーーーーーーこのあと いよいよ硫黄島決戦が始まります。つづきをどうぞ
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