大谷石採掘(栃木)2 大谷石の全盛期!
大谷石は約2千万年前の火山灰が固まって出来た軽石の一種で耐火性に優れ さらに柔らかくて加工しやすい建築素材です。
そして今から93年前(1923年 大正12年)その石の底力が発揮される出来事が起こりました。
それがあの首都直下型地震〃関東大震災〃でした。多くの建物が崩れていく中さらに追い打ちをかけるように大火災が東京を丸ごと飲み込んで行きました
しばらくすると東京のほとんどの建物が炎の餌食となり焼け焦げてしまいました。当初その大災害に耐えた建物は東京駅だけだとされていました。
しかしもう一つ震災に耐えた建物がありました。それがあの耐火性に優れた〃大谷石〃を使って建てられた(旧)帝国ホテルでした。
しかもその時 帝国ホテルの建物はほぼ無傷の状態だったそうです。そのことがきっかけとなり大谷石は全国的に有名になったそうです。
また当時の帝国ホテルの玄関部分は今も博物館明治村(愛知県)に保存されているそうです。
そして1932年(昭和9年)には宇都宮カトリック教会の建設に大谷石が使用されます。その教会は今残っている大谷石を使用した建築物の中では一番大きな建物だそうです。
その後 日本は敗戦などの数々の困難を乗り越えやがて高度経済成長に入ります。
昭和30年~40年代(約50年前)宇都宮市大谷町は今と変わらない小山と畑からなるのどかな風景がどこまでも続いてました。
しかしそんな のどかな田舎道にどこからともなく多くの外国車が走っていたそうです。その外車は当時 大谷石で大儲けをした人たちの車だそうです。
さらにそのころになると採掘現場に機械が導入されて行きます。すると今までの5倍の一人一日50本もの石を運び出すことが出来るようになります。
その頃 鉄道駅の近くでは広場を埋め尽くすかのように大谷石が立て掛けられていました。その沢山の大谷石の中からモクモクと煙を上げながら出て来たのが蒸気機関車でした。
その蒸気機関車に積み込まれた大谷石は全国各地に運ばれて行きました。
ーーーーこのあとある物の出現により大谷石は衰退していきます。
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