大谷石採掘(栃木)3世の中にコンクリートが出回る!!
テスト
今から約40年前の昭和50年代に入ると大谷石の天敵でもあるコンクリートが世の中に出回るようになります。すると大谷石は一気に衰退していく事となります。
そして大谷町の人口も減少し一気に過疎化が進んでいったそうです。
さらに広大な地下空間はいつの間にか政府が利用する巨大な冷蔵庫となり政府米の大きな米蔵へと変わってしまいました。
(※政府米とは政府が生産調整のために農家から買い取った余ったお米の事です。=税金の無駄使い)
さらに1989年には地面が直径100メートル深さ30メートルにわたり陥没し近隣住民が避難する騒ぎも発生したそうです。
そんな困難を乗り越え2010年には32年ぶりに大谷石の新しい採掘場が作られました。また宇都宮市も市民に対し住宅に大谷石を使った場合 費用を負担する制度を始めました。
また地下には大谷石の層が深さ200~300メートル東西8キロそして南北には なんと37キロまで広がっていると確認されました。
その埋蔵量は10トンではなく なんと〃びっくり〃の10億トンもあるそうです。そして今も地下60メートルのところでは作業員が機械を使い大谷石の採掘を行っているそうです。
さらに宇都宮駅西口のぽっちゃり美女の餃子娘こと宇都宮餃子像も大谷石で造られているそうです。また最近ではパンやピザの釜に大谷石が多く使われているそうです。
そして地域活性化のために廃坑になった採掘場で観光ツアーも行われているそうです。
ーーーーこのあと地底湖探検ツアーに参加します。
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