2フィリピンの歴史1(~16世紀まで)
紀元前650世紀(6万7千年前) ルソン島北部のカヤオ洞窟で現人類のカヤオ人の人骨が見つかる
紀元前145世紀(1万6500年前) パラワン島のタボン洞窟で棺に納められた1万6500年前の人骨が発見される
紀元前30世紀 紀元前3000~2000年ごろ グアム島に初めての人類が上陸する
フィリピンから東南アジア系のチャモロ人がカヌーに乗って移住した。
紀元前20~15世紀 水田農耕の技術を持った古マレー人がルソン島に移住する
ルソン島カガヤン渓谷ソラナ東遺跡から稲が出土している
紀元前230年ごろ マレー系で色黒のネグルト族がフィリピンのあたりに移住してくる
ネグルトとはスペイン語で小柄で色の黒い人と言う意味
その後 そのほかのマレー系の人々が移住してくる
1世紀頃 ルソン島北部でバナウィの棚田が作られ始める
3世紀 扶南国(カンボジアやベトナム南部に存在したクメール人の国家)はフィリピンまで貿易を拡大していた
当時 インドネシアを経由しインドの言葉が多く入って来た
タガログ語に古代インドのサンスクリット語に似た単語が多いのは そのころの貿易の影響からだとされている
10世紀 フィリピン南部のミンダナオ島にはブトゥアンと言う海洋国家があり ベトナム南部のチャンパ王国やインドネシアのシュリーヴィジャヤ王国と貿易を行っていた
982年 当時 フィリピンに存在した摩逸国の商人が中国大陸の南宋の広州を訪れた記録が残っている
1279年 中国大陸で 崖山の戦い が起こる 元と南宋の間で起こった戦争で 結果 南宋の滅亡につながった
戦争に敗れ難民となった南宋の人々がフィリピンのマニラでトンド王国(ルソン国、呂宋国)を建国した。
トンド国は東南アジアやインド 中国の中継貿易で栄えた海洋国家になる
14世紀 バイバイン (文字)と言うフィリピン独自の文字を使用していた ※言語はタガログ語
1365年 マレーシア(ボルネオ島) フィリピン ブルネイを含む領土はインドネシア ジャワ島のマジャパヒト王国の属国となる
14世紀末(1372年) 明(中国)がフィリピンに使節を派遣した さらに明に住んでいたアラブ人がブルネイ(フィリピン ミンダナオ島)にイスラム教を広めた そのためフィリピンでイスラム教を信仰する人が増え始める 明とトンド王国 ルソン国、呂宋国(フィリピン)との貿易も盛んになる
1405年 ボルネオ島(マレーシア)とフィリピン(スールー海、パラワン島)の あたりにブルネイ王国から独立したスールー王国(イスラムスンニ派)が建国される
1450年 マレー半島のマラッカ王国のジョホール(マレーシア)からアラブ人がスールー諸島(ミンダナオ島とボルネオ島の間に位置するフィリピン領)に到達しスールー王国と言うイスラム国家を建国する※インドネシアから来た人がスルー王国を起こしたという説もある
バジャウ族は昔フィリピンから移住してきた民族 フィリピン マレーシアやミャンマーに住む海に生息
15世紀後半 マレーシアのマラッカ王国が貿易の中心地として栄え ジャワ島(インドネシア)と共にルソン島(フィリピン)からも多くの人がマラッカへと出向き貿易を行った
1500年 フィリピンのマニラ王国(ルソン国)はブルネイの支配下にはいる またブルネイはルソン島へも進出し ルソン島の何人かの首長はブルネイのスルタン(王)の娘を妻にしていた
(同年) ポルトガルがマラッカ王国を占領する前にルソン島を立ち寄った
1515年 ミンダナオ島 南部にイスラム教を信仰するマギンダナオ王国が建国される
スールー王国は奴隷貿易を行っていた 軍を派遣し奴隷狩りを行っていた 当時 奴隷は重要な労働力となった
1521年 マゼランがフィリピンに到達する
マゼランはポルトガルの下級貴族であったが 様々な手柄を挙げたため妬まれた
そのためマゼランは母国ポルトガルを去りスペイン側に付いた
ちょうど そのころスペイン王国も優秀な船乗りを探していた そこでマゼランがスペイン艦隊の船員に抜擢された。
マゼランが乗ったスペイン艦隊は胡椒を取りに行くため東南アジアを目指した 目的の胡椒は南沙諸島のあたりで多くとれた
しかし航海の途中 船の中で内乱が発生 その時 マゼランは反乱を起こした船員を首切り処刑したとされている
マゼランが乗ったスペイン艦隊はマラッカ王国(マレーシア)を制圧した後 フィリピンに上陸する
当時フィリピンは もうすでにイスラム教が多くを占めていたが それでもマゼランはフィリピンでキリスト教の布教活動を行った
(同年)フィリピン南部のミンダナオ島はスペインの統治下に置かれ 結果 ミンダナオ島のブトゥアン(国)は滅亡した
なおミンダナオ島とボルネオ島の間に位置するスールー王国(スールー諸島)はスペインの侵入を防ぎ独立を保った
同年 セブ島でマゼランはフィリピンの英雄ラプラプ(イスラム教徒)との戦闘に敗れ殺害される マゼランの世界一周の夢はかなわなかった
現在のボルネオ島の小国ブルネイは 16世紀 当時はフィリピンのミンダナオ島からボルネオ島(※インドネシアの一部を含む)まで統治する大きな国だった そのころ スペインやポルトガル人もやって来て戦争に発展する その結果 戦争に敗れたブルネイ王国の領地は奪われ今の小国ブルネイとなった
1526年 マゼランのスペイン戦に続き マラッカから東に進んだポルトガル船がブルネイに上陸した。ポルトガルはブルネイをマカオ(中国)との中継地として利用した。 当時ブルネイ王室はマニラの首長と婚姻関係にあった
ところがブルネイと友好関係にあったフィリピンはスペインに占領されてしまう
1529年 サラゴサ条約によりフィリピンは正式にスペインの領土となった
※ボルネオ島とスルーワンの王国(フィリピン)は そのまま独立を保った※
16世紀(1542) スペイン人皇太子の名前からフィリピンと言う国名が誕生する
フィリピンと言う国名は当時フィリピンを支配したスペイン人の皇太子フェリペの名前から来ている フェリペはのちにフェリペ2世国王となる
1568年 セブ港はポルトガルの攻撃を受ける ブルネイ王国はスペインとポルトガルの戦いの巻き沿いを食う形で自国の領土を次々とスペインに奪われて行った
ブルネイは欧米の植民地支配からは逃れた物の重要な貿易相手(フィリピン等)を失い 以後 衰退の道を歩む
1571年 スペインは4隻の艦隊をフィリピンに送りマニラの侵略を始める
そしてスペインはフィリピンの香料を独占した
1571年 ルソン国はスペインの支配下に入り のちにルソン国はスペイン領のトンド州(現マニラ)となった
先にフィリピンに到達し生活していた華僑たちは後からやって来たスペイン人たちに迫害を受ける事となる
16世紀 ルソン島北部にあるビガンはスペイン人によって築かれた商業の町
太平洋戦争では奇跡的に戦火を逃れた 今は世界遺産となっている
<もくじ>
1フィリピンの基本情報&料理デザート
2フィリピンの歴史1(~16世紀まで)
3フィリピンの歴史2(17世紀~20世紀)
4マニラの博物館や歴史的建造物
5マニラの教会群とモスク
6マニラのその他の情報
7ルソン島 教会や町や博物館
8ルソン島 棚田群と山に関する名所
9ルソン島の火山と海滝とバガン諸島
10セブ島とボホール島
11ビサヤ諸島の島々(ボラカイ島 ネグロス島ほか)
12パラワン諸島
13ミンダナオ島
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