3フィリピンの歴史2(17世紀~20世紀)
17世紀 スペイン人がマニラにイントラムロスと言う隔離壁を建設(スペイン人とフィリピン人を隔離する壁) フィリピン人は壁の中へ入れなかった
1660年
ブルネイ王室内で内紛が発生し それを鎮圧したスールー王国(フィリピン)がマレーシア サパ州を割譲する
1703年 ブルネイ王国で反乱がおこり その際 ブルネイ政府からの要請でスールー王国(フィリピン)が軍を派遣し反乱の鎮圧にあたった
1750年 スペイン人によりマニラにマラカニャン宮殿が建てられる 独立後 宮殿は独裁者マルコスの宮殿となる 現在 一般公開されている
1762年 イギリスとスペインとの間で衝突が生じ イギリス艦隊が一時マニラを2年間ほど占領する
1869年 スエズ運河(エジプト)が開通 マニラスペイン蒸気船定期航路が出来る
医師であり革命家でもあるフィリピン人 ホセリサールの登場
フィリピン独立の為 フィリピン同盟を設立する
ホセリサールは中国とフィリピン系のハーフ 今でもフィリピン人に独立の父として尊敬される人物だが ホセリサールは反乱を指揮したとしてスペインに銃殺処刑されてしまう
ホセリサールの意思を引き継いだのがアギナルドと言う人物
1878年 スールー王国は それまで ずっとスペインの侵略を防ぎ独立を保ってきたが ついにスペインに占領されてしまう
1888年 16世紀以降 スペインの植民地支配から ずっと逃れてきたミンダナオ島の王国 マギンダナオ王国が ついにスペインの支配をうける事となった 結果 マギンダナオ王国は滅亡した
1896年 スペイン支配に対抗しフィリピン人が革命を起こす
1897年 アギナルドは革命政府を樹立し初代大統領となる
アギナルドはスペインとの戦闘で山奥にまで追い込まれた挙句 ひるがえる アルギルドはフィリピンの独立をあきらめ さらに敵国スペインから補償金をもらい香港へ逃亡してしまう その後 香港で自転車屋を始める
1898年 米西戦争 アメリカとスペインとの戦争が勃発する
切っ掛けはカリブ海でキューバとの衝突
アメリカはスペインと戦争をするにあたってフィリピンの独立を手助けするというのが大義名分(戦争をするための口実)となった※しかし実際はフィリピン占領が目的
米西戦争(アメリカVSスペイン)の結果 グアムはアメリカの領土となる
フィリピン プエルトリコも そのときスペイン統治からアメリカ統治へと変わった
フィリピンがスペイン支配からアメリカ支配へと変わった時にトンド州はマニラへと呼び方が変わった
アメリカはマニラに攻撃を仕掛ける
その状況を見て香港にいたアルギルドがフィリピンに帰国する
そしてアルギルドは第一次フィリピン共和国を立ち上げる
戦争はアメリカの勝利で終わった だが大義名分は守られなかった アメリカはスペインと講和条約を結びアメリカがスペインからフィリピンの領地を購入する形でフィリピンを占領してしまう 購入金額は2000万ドルだった 現在の価値で約4千億円
続いてアメリカとフィリピンとの間で米比戦争が始まる 戦闘のさなか60万のフィリピン人がアメリカ軍により虐殺される
戦闘はゲリラ戦となるがフィリピンはアメリカに負けアメリカの植民地となる
1929年 世界恐慌が発生しアメリカにとってフィリピン領地がお荷物となってしまう
1934年 アメリカが10年たったらフィリピン独立を認めると発表する フィリピンに独立準備政府が樹立される
1942年 太平洋戦争が勃発する 日本がフィリピンを3年間 占領する
1945年 マニラ市内の戦闘では市街地に70万以上の住民を残したまま行われ10万以上の市民が戦闘に巻き込まれなくなった
マニラ郊外の コレヒドール島
アメリカがマニラを奪還する
1946年 戦後 アメリカはフィリピンの独立を正式に認めた
独立後は選挙で選ばれた大統領が毎年変わる状態が数年続いた
1965年 マルコス大統領は金で選挙も政治も動かすようになる
マルコスの独裁政治は25年間続いた 反乱の兆しがあると マルコスは すぐ戒厳令が発令させた すると直ちに軍が出動し鎮圧にあたった
またマルコスの妻イメルダ夫人は高価な靴集めが趣味 今ではイメルダの靴コレクションは観光名所になっている
1980年 反マルコス運動をしていたアキノは身の危険を感じアメリカに亡命する
1983年 アキノ(旦那)がフィリピンに帰国した際 空港で殺害される
アキノが乗った飛行機が空港に降り立つと軍が飛行機の中に乗り込みアキノは銃撃され殺害された
アキノは市民から人気があり葬儀には200万人が参列した
アキノ夫人は夫の未練を晴らすべく大統領選の出馬を発表する しかしマルコスは明らかな不正選挙を行いマルコスの当選が確実となる
それに怒った国防大臣はマルコスを見放しアキノ夫人側に付く 市民もそれに賛同し国内で反マルコスを掲げ大暴動に発展する
身の危険を感じたマルコスは米軍の助けを借りアメリカ ハワイへ逃亡する
マルコスは独裁者であったが親米路線を取っていたためアメリカが逃亡の手助けをした
その後の憲法で大統領の任期は最長6年に再選はなしと決められた
その後 フィリピンは現代にいたるまで民主国家の道を歩んでいる
<もくじ>
1フィリピンの基本情報&料理デザート
2フィリピンの歴史1(~16世紀まで)
3フィリピンの歴史2(17世紀~20世紀)
4マニラの博物館や歴史的建造物
5マニラの教会群とモスク
6マニラのその他の情報
7ルソン島 教会や町や博物館
8ルソン島 棚田群と山に関する名所
9ルソン島の火山と海滝とバガン諸島
10セブ島とボホール島
11ビサヤ諸島の島々(ボラカイ島 ネグロス島ほか)
12パラワン諸島
13ミンダナオ島
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