東欧 ポーランドの名所
東欧 第1弾 ポーランド
ワルシャワ (廃墟からの復興~中世の町をそのまま再現) |
ポーランドの中央に位置する
ワルシャワの建設は13世紀に始まった 当時 ワルシャワはヴィスナ川の港町として栄えた
ヴィスナ川はポーランドで一番長い川 昔は多くの船が行き来していた 川にはいくつかの中州があり渡り鳥の休息所となっている
1596年(または1611年) ポーランド王 ジムヌント3世が首都をクラクフからワルシャワに移した
18世紀初め オーランド王室が崩壊するまで使われていた城が残る
17~18世紀にワルシャワの街が整備されたときに立つ銅像 町のシンボルとなっている
人魚伝説
由来は その昔 ヴィスナ川で漁師の網にたまたま引っかかった人魚が心ある村人に助けられ再び川に戻された
人々のやさしさを知った人魚はワルシャワが苦難の道を歩んだ時
優しい歌声を聞かせ勇気付けてくれると言う
また人魚を捕獲した漁師の名はワルスとサワと言った その2人の名を取ってワルシャワと言う地名が付けられた
古代ギリシャやローマ美術に現代芸術が展示されている
1410年に起こったポーランドリトアニア連合軍とドイツ騎士団との戦いを描いた絵画
9×4メートルの巨大壁画 グルンヴァルドの戦い が展示されている
1945年 第2次大戦時 町の3分の2(又は85%)が廃墟となり20万人が亡くなったとされる
ヒットラーはワルシャワの古い街並みを破壊し そこに新たなドイツる風の町を築く予定であった
ヒトラーの計画図も残っている
戦後は首都移転計画も持ち上がったがワルシャワ市民の不屈な思いで復興を遂げた
1980年には町全体が世界遺産に登録された
石畳の床を馬車がパカパカ走る光景が見られる
昔のままの姿に再現するため手の込んだ装飾が行われた
ナチスドイツに破壊される前の図面(3万5千枚)が残っており街の復興(再現)に役立った
実は戦前 予めワルシャワの街が破壊される事を想定して図面が書かれていた
それらの図面は戦時中 ナチスドイツに見つからないよう こっそりと修道院の秘密部屋に隠された
修復の際は壁のひび割れまで忠実に再現された 中世 16世紀と同じ姿に再現された
図面を残した教授の功績をたたえ石碑が埋め込まれている
そこには教授が残した復興への信念の言葉
〃破壊された物の復興は未来への責任〃と刻まれている
ただ大聖堂だけは戦前より さらに古い頃にポーランド王国がもっとも繁栄していた頃の姿に再建された
どの場所からもよく見える一つ屋根の大聖堂
電線も地下に埋め 地下のパイプに火力発電で温めたお湯を流した
1952年から4年かけて建てられた 高さ234メートル 37階建ての高層ビル 部屋数は3288室
旧市街から南側へ行くと近代的な建物が立ち並ぶ 化学宮殿もその一つ 37階建て3300家らの部屋からなる 展望台からの眺めがいい
ソ連統治時代を象徴する建物 東西冷戦が激しかったころに建てられた建物 現在はEUの国旗が建っている
ソ連嫌いのポーランド人にとってはめざわりな建物
スターリン(ソ連)がポーランドに地下鉄か宮殿のどちらかをプレゼントするから選びなさいと言ってきた ポーランド人は地下鉄を選んだが実際プレゼントされたのは宮殿?(威圧感のある高層ビル)でだった
どことなくワルシャワとはふつりあいの建物となった
ちなみにモスクワにも同じ形のビルが建てられた。
壺と蛇の看板は薬局 古代ギリシャでは蛇の毒を薬代わりに使っていたためこのデザインの看板が使われた
<目次>
1ポーランドの歴史
2基本情報&料理
3ワルシャワ1(廃墟からの復興~中世の町をそのまま再現)
4ワルシャワ2(ショパンに関する名所ほか)
5古都クラクフ
6ヴェリチカ岩塩坑
7アウシュビッツ強制収容所(ナチスの地下基地)
8トルン(コペルニクスの故郷)と西部と北西部の名所
9北部グダンスクとエルブロング(黒いマリアほか))
10ヴァロツワフ(ヤヴォルの平和教会 ヨーロッパバイソンほか)
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