6ヴェリチカ岩塩坑
クラクフから14キロ郊外 750年に渡り塩の採掘がおこなわれてきた
約2000万年前 ヴェリチカは海の底だった 岩塩の壁はまるで白いセメントで固められた壁のように見える
10世紀に本格的に塩の採掘が始まった 火薬の原料としても使われた
王国時代この3つの産業で栄えた
①琥珀
②織物
③岩塩
中でも岩塩の採掘は最大の利益を得た
17世紀に本格的な足場が組まれた
切り出した岩塩は馬を使って運ばれた 坑道内には当時の採掘の様子が展示されている
当時 塩は白い黄金と呼ばれるほど貴重であった
塩は周辺諸国に高い値段で売れた
工夫は報酬として塩を一握りだけもらえた
ポーランド王国は塩の採掘量と歩調を合わせるように領土を拡大していった
深さ300~327メートル アリの巣のように張り巡らされた地下坑道の総延長は300キロ
塩の採掘は常に危険と隣り合わせ
地下水の浸水 岩盤の崩落 ガスの噴出などが起こっている
採掘中 死亡事故が発生した場所には十字架が建てられている
最も深い所は327メートル 9層からなる地下構造 階段付きの地下9階
地下9階は浸水し現在は立ち入り禁止となっている
地下8階 地下290メートル このフロアに20世紀に入ってポンプが設置された
地下100メートルの所に礼拝堂が造られている 最初に造られた礼拝堂は火災で焼失
その後 岩塩のみで礼拝堂が造られた。
見学者はヘルメットをかぶり地下100メートルまで階段を使って降りる
時のポーランド王に嫁ぐためにやって来た王妃が泉に わざと婚約指輪を投げ入れた すると普通の泉が岩塩が湧き出したという伝説が残っている
1996年 塩の採掘は行われなくなった 現在は年110万の観光客が訪れている
地下の迷宮を巡る観光の歴史は古く15世紀から始まった。
コペルニクスやショパン ドイツの文豪ベータも この岩塩坑を見学した
19世紀には岩塩の採掘とは関係のない観光用のアトラクションが地下に造られた。
キンガ姫は13世紀に実在した人物 そのキンガ姫が岩塩を発見したとされている
彫刻類はすべて塩で出来ている
地下宮殿を思わせる造り 寝所の首飾りのような豪華なシャンデリアも塩で出来ている
壁には宗教画が彫られた 塩で作られた最後の晩餐
塩で出来たヨハネパウロ2世像
一辺が20~50センチの塩の結晶 一か所にこれだけ多くの結晶が集まるのは珍しい
温度と湿度を一定に保つ必要があるため 一般観光客は立ち入り禁止
ヴィエルチカ最古の物 地下64メートルの所にある
かつては観光コースに組み込まれていたが しかしそれが災いし 塩の彫刻が湿度の影響を受けてしまい
溶けてしまった 現在は彫刻の保護の為 観光客の立ち入りを禁止している
1493年 コペルニクスがここを訪れた記念に造られた
ヴェリチカ岩塩採掘所の30キロ郊外
現在は塩の採掘は行われていないが 塩の殺菌効果を利用し ぜんそくやアレルギーに効果のあるスパを行っている
年10万の患者がここを訪れる 子供用のトロッコは かつて多くの岩塩を運んでいた
地下150メートルの所に滑り台もある 滑り台は無数に掘られた横穴と横穴をつなぐために利用されていた
クラクフから60キロ郊外
のどかな田園地帯にある 村の人々は昔から木の家に親しみを感じている
村にある教会も木造作りのでそのうち6つが世界遺産となっている
15世紀に建てられた木造建築
ヨーロッパカラマツの大きな屋根が特徴全体を覆ている木材は全て斧で削られている
日曜ミサの前日 信者たちは教会の軒下で過ごした そのため軒下(のきした)は土曜日と呼ばれている
村は第1次大戦の戦場となり 危うく教会も取り壊されるところだった
兵士たちは教会の木材をはがし その木材で塹壕を作った 牧としても利用された
現在は修復が完了している
現在は新しいレンガ造りの教会もたっている ただ特別な行事が行わエれる際は木造教会を使用する
15世紀に建てられた 樫(かし)の木に囲まれた木造教会 那加は壁画で埋め尽くされている
木の壁には最後の晩餐の絵が描かれている しかし 以前教会が水につかった時消えてしまった為 足元がぼやけている
1997年 近くの川の水があふれ 教会も水に流されそうになった
人々は教会を大木にくくりつけ流されるのを防いだ
今でも樫の木の大木に そのときのロープの跡が残っている
<目次>
1ポーランドの歴史
2基本情報&料理
3ワルシャワ1(廃墟からの復興~中世の町をそのまま再現)
4ワルシャワ2(ショパンに関する名所ほか)
5古都クラクフ
6ヴェリチカ岩塩坑
7アウシュビッツ強制収容所(ナチスの地下基地)
8トルン(コペルニクスの故郷)と西部と北西部の名所
9北部グダンスクとエルブロング(黒いマリアほか))
10ヴァロツワフ(ヤヴォルの平和教会 ヨーロッパバイソンほか)
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