7アウシュビッツ強制収容所(ナチスの地下基地)
ポーランド 南西部 ナチスドイツの地下基地 |
ポーランド南西部 チェコとの国境近く 築100年を超える 古い城が多く残っている
しかし修復できる職人の数は不足している
山の頂上に建てられた北欧バイキングの教会 船作りと同じ建築方法で建てられた
ナチスが造った秘密の地下基地がある 地下基地には財宝と機密文書が隠されていた。
ある日 地下基地近くにトラックが突っ込む大爆発を起こした。
戦争末期には数千人の兵士で守られていた その最強兵士をナチスドイツはワンダフルウェイポンと呼んでいた
13世紀 貴族によって森の中に建てられた城
その後 この地方はチェコから神聖ローマ オーストリア ハンガリー ドイツと次々と支配者が変わっていく
ヒトラーはこの城に司令部を置いた ヒトラーはこの城を訪れたことはないが いずれこの城に住むつもりでいた
城の地下には第2次大戦時 ドイツ軍が造った ナチスのトンネルがある
ナチスは そこをシェルターとして使用していた。
地下道の長さは950メートル 地下にエレベーターが造られる要諦だった
今は科学アカデミーとして地震観測に使われて立ち入り禁止となっている
ナチスが造った地下施設がある 地下道は20キロ離れたクションシュ城(ナチスドイツ司令部)まで繋がっていた
今では政府一押しの観光スポットとなっている
監視所があり機関銃も置かれている 全長1700メートルの地下施設
天井までの高さは10メートルもあった 3か所造られた地下施設は全部 繋がる予定だった
地下基地を作り鉄道を通す予定だった
ナチスドイツは その地下基地でデンマークやノルウェーから科学者を呼び寄せ秘密兵器が造られる予定であった
戦争末期 ソ連軍がドイツの地下施設の情報を得る その事を知ったドイツは地下基地(未完成)の入り口を爆破した
クラクフから約70キロ郊外 アウシュビッツはドイツ語
人類最大の負の遺産 ナチスドイツやユダヤ人絶滅の為に作った施設
戦前までポーランド全人口の約10分の1がユダヤ人であったが ポーランドのユダヤ人は消滅した。(現在もまだ戻っていない)
一本の線路でつながったアウシュビッツ収容所 その線路もユダヤ人が造らされた
土を運ぶ汽車に乗せられユダヤ人たちが運ばれてきた 1両に70人が運び込まれ移動中に亡くなった人もいた
戦争末期 敗戦色が濃くなったナチスドイツは多くの施設を破壊し隠ぺい工作を行った
ナチスドイツがアウシュビッツから撤退する際 都合の悪い資料は全て処分した
現在 ポーランド政府はこの悲劇を後世に伝える為 建物の保護が法律により決められている
世界遺産に登録され年60万の観光客が見学に訪れる
ポーランド政府が博物館を運営している 毎年1月に追悼式が行われている
年200万(うち日本人は400人)の見学者が訪れ 17の言語でガイドが行われている 日本人による日本語ガイドも行っている
永遠に持ち主の元へ帰ることのないカバン
カバンには それぞれ持ち主の名前が書かれている
後で返すと嘘をつきカバンの持ち主に名前を書かせた
ユダヤ人を狭い部屋に閉じ込め毒な食事も与えずに殺害した
地下の貯蔵庫にユダヤ人をかくまり にせのIDを持たせピアノの合図とともに300人のユダヤ人を逃げさせた
アウシュビッツに送り込まれてきた人はまず死の選別を受ける
すぐにガス室に送られ死ぬか 過酷な労働の末 死ぬか
生かすか殺すかは軍服を着たドイツ兵が即座に決めていた
老人や妊婦 それと身長120センチ以下の子供 男でも働けそうにない物から順にシャワー室へと送られた。
アウシュビッツに送り込まれた人の75%がガス室 行きとなった
シャワーを浴びさせられたあとガス室へと送り込まれる
ガス室からは大量のガス管が発見されている
毒ガスチクロンB(殺虫剤の一種)により約20分後には息絶える 15分~20分かけ苦しみながら亡くなっていく
遺体から金歯や銀歯を抜き取られ 髪の毛は剃られた
ナチスドイツは人の毛で布を織っていた。また人の毛とほかの毛を混ぜ絨毯もおられていた。 人の脂からは石鹸 皮膚で紙も造られた
金歯等はベルリンに運ばれた
一度に数百人単位で殺害し 一日当たり数千人が殺されて行った
一度に千人以上を殺せる大部屋のガス室もあった 遺体はすぐに焼却された
計1~2万人が銃殺された死の壁 亡くなった多くの人はナチスドイツに抵抗したポーランド人
収容棟には170のベットに700人が詰め込まれ真冬でもわらのベットしか与えられなかった
毎日 作業を終えると まだ使い物になるかならないか選別される
ほとんどのものは3か月以内に力尽きた
20か国の人々からなる110万~150万の人が ここで犠牲となった
クラクフ郊外 クラクフから68キロ ナチスドイツは10万の人を送り込み虐殺した
300頭以上の建物が建て横一列に並ぶ
ビルケナウ収容所(アウシュビッツから2キロの場所)はアウシュビッツ2号と呼ばれていた
アンネの日記の著者 アンネフランクもこの収容所へ入れられた
実は新約聖書の中にユダヤ人迫害理由について書かれている
当時 イエスはユダヤ教の改革運動をしたことによりユダヤ人ににらまれ処刑された
のちにヨーロッパでキリスト教徒が増えイエスを殺したユダヤ人の迫害を始める
ヒトラー以前 中世のヨーロッパにおいてもうすでにユダヤ人の迫害が行われていた。
その後 一部のユダヤ人は当時 恥とされた金貸し業(金融業)で大成功する ユダヤ人はキリスト教徒に ますますにらまれるようになった
ポーランド 南東部 |
16世紀のっポーランドリトアニア王国 誕生の地
第2次大戦時 ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺が行われた現場
ルブリン郊外の温泉施設
<目次>
1ポーランドの歴史
2基本情報&料理
3ワルシャワ1(廃墟からの復興~中世の町をそのまま再現)
4ワルシャワ2(ショパンに関する名所ほか)
5古都クラクフ
6ヴェリチカ岩塩坑
7アウシュビッツ強制収容所(ナチスの地下基地)
8トルン(コペルニクスの故郷)と西部と北西部の名所
9北部グダンスクとエルブロング(黒いマリアほか))
10ヴァロツワフ(ヤヴォルの平和教会 ヨーロッパバイソンほか)
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