9北部グダンスクとエルブロング(黒いマリアほか)
ワルシャワから約360キロ バルト海に面したポーランド最大の港町
ルネッサンス様式の建物と1000年を超える歴史がある
グダンスクは昔城壁に囲まれていた 今でも城壁の一部が残っている
窓の少女と言う小説をもとに造られた少女の人形
少女はこの城に幽閉されていた
人形は1日3回屋根裏から外に向け首をかしげながら飛び出してくる
機械仕掛けだが瞬きもする
海水浴場では奇麗な琥珀が取れる
海から拾い上げたばかりの琥珀はゴツゴツとしている
職人が磨き上げ つやつやてかてかの工芸品が完成する
160年間かけて1502年に完成した
第2次大戦で一度焼失したがその後再建された。
高さ78メートル レンガ作りのゴシック建築で街のシンボルとなっている
昔の囚人塔 14世紀に建てられ300年間使われてきた
現在は琥珀博物館となっている
1561年 建築 今は博物館となっている
夏場のみ展望台が解放され広場とバルト海が望める
1633年 完成
2017年 オープン
平和を願う記念碑
メインストリート 王の道と言う意味
マルボルク グダンスクから60キロ郊外
1274年 創建 1309年~1457年までドイツ騎士団が使用していた。
赤レンガを一つ一つ積み上げ150年かけ完成させた城 内部は宮殿のような作りとなっている
温めた石を使った暖房施設も完備していた
城の主はドイツ騎士団 ポーランドが周辺国の攻撃に備え800人のドイツ騎士団(カトリック)を呼び寄せた
キッチンやトイレが木製で出来ている 当時 紙は貴重であったため
トイレットペーパーの代わりにキャベツを使っていた
13世紀 ドイツ騎士団は十字軍の遠征からもどりここを拠点にキリスト教の布教活動をしていた
マルボルク城は修道院でもあり騎士たちは修道院でもあった 場内の個室は祈りをささげる部屋でもあった
しかし実際は異教徒を武力で弾圧し文たちの領土へ組み込んでいった バルト海沿岸もドイツ騎士団に制圧された
バルト海沿岸は琥珀の産地でドイツ騎士団は琥珀の権利を独占した
やがてドイツ騎士団は宗教活動から政治活動に力を入れるようになり ヨーロッパでもっとも強大な政治組織となる
ドイツ騎士団は ほかにも120の城と90の町を築いた ドイツ騎士団繁栄ののち
ドイツ騎士団との戦いに勝利したポーランドリトアニアがこの地を統治する事になる
現在 マルボルク城は博物館となっており城内にレストランもある
ビール入りのパンケーキなどが頂ける
トイレの表示は悪魔のマークとなっている
ポーランドではトイレに悪魔が住んでいると考えられているため
毎年 7月下旬 ポーランド王国とドイツ騎士団が戦った マルボルタ包囲戦 を再現したイベントが開催される
観光船は約30キロの距離を4時間半かけゆっくりと進む 乗船料は3600円
狭い川幅を進む大型観光船 高低差100メートルを グイグイと登っていく
川から陸に上がった船がリフトの力を利用し陸の上を走る
リフトは もともと切り出した木材を運ぶために造られた
陸を過ぎると再び着水する 陸と川を4回繰り返し進んでいく
ワルシャワから約300キロ
湖水地方の中心都市
観光用のトイトレイン(おもちゃのような小さな汽車)
1894年に開通した 乗車時間は40分
砂糖キビと大根の運搬に使われていた
サトウキビやダイコンは今でも栽培されている
ジニンから10キロ郊外
ポーランドのポンペイとも言われている
1933年 子供たちと遠足にやって来た先生が偶然に発見した 紀元前8世紀の砦と集落跡
黒いマリア |
クラクフから約140キロ
カトリック修道院
夜の10時になると修道院の奥に沈む夕日がみられる
黒いマリア 火災に会い顔が黒くなってしまった為そういわれている
多くの巡礼者が黒いマリアを拝むためにやって来る
昔 スウェーデンとの戦いで最後まで屈しなかったそれは黒いマリアの奇跡と言われた
修道士は一日中休むことなくミサを行っている
普段黒いマリアは黒い幕がかけられているが時間になるとラッパの演奏と共に幕が上がる
黒いマリアはポーランドの女王とも呼ばれている
<目次>
1ポーランドの歴史
2基本情報&料理
3ワルシャワ1(廃墟からの復興~中世の町をそのまま再現)
4ワルシャワ2(ショパンに関する名所ほか)
5古都クラクフ
6ヴェリチカ岩塩坑
7アウシュビッツ強制収容所(ナチスの地下基地)
8トルン(コペルニクスの故郷)と西部と北西部の名所
9北部グダンスクとエルブロング(黒いマリアほか)
10ヴァロツワフ(ヤヴォルの平和教会 ヨーロッパバイソンほか)
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