ポルトガル王国の海外領地 紀元12世紀~紀元20世紀
紀元16世紀 ポルトガル王国の海外領地 (南米ブラジルやアフリカ各地を植民地支配) サンチャゴ砦(マラッカ マレーシア) |
16世紀初めポルトガル人はスパイスを求めてマラッカにやって来ます。その時の子孫が今でもマラッカで暮らしているそうです。
サンチャゴ砦は1511年(16世紀)マラッカ王国を倒したポルトガル人がオランダとの戦いのために建てられた砦です。
ファモサ要塞 |
セントポール教会 |
教会はサンチャゴ砦と同じ1521年(16世紀)創建 ポルトガル人が建てた教会です。
その後 改築と回収を繰り返し今では残念ながら屋根がなく半倒壊の状態です。
教会の外にはフランシスコザビエルの白い像が建ってます。そのザビエル像の右手がかけているのは死後 彼の右手のみ故郷に贈られたためだとされてます。
1552年ザビエルは中国への布教の途中に亡くなり1553年ザビエルの遺体はここ(丘の上の教会)に9か月間安置されたそうです。
ザビエルは日本へ行く前マラッカでやじろうと知り合い日本への布教活動を決意したそうです。
そして1549年ザビエルは日本人やじろうとともに日本で初めてキリスト教を伝えます。
ただ琉球(沖縄)はやじろうがマラッカに来る1世紀(100年)も前からマラッカと貿易をしていたそうです。
またマラッカにはザビエルとやじろうが一緒に並んで立つ銅像が建てられた教会もあります。
マカオ民政総署(マカオ 中国) |
〇(ドンペトロ劇場)(マカオ民政総署)会議場
セナド広場 |
〇(セナド広場)アゼレージョタイル モザイクタイル カルサーダス ポルトガルから運んだタイルを使用
仁慈堂 |
(仁慈堂)ポルトガル統治時代の福祉施設 1567年
紀元17世紀 ポルトガル王国の海外領地 マカオ(中国) |
大航海時代 海外からの侵略を防ぐためにポルトガル人によって多くの要塞や城壁が作られた。マカオは400~450年間ポルトガル人が統治
大航海時代=明代 明は通貨を銀にしていたため日本の石見銀山からの銀はポルトガル人によってほとんど明に運ばれていた明(中国)では銀は取れなかった
かるた たばこ パン カステラ(すべてポルトガル語)が日本へ運ばれていった。
ザビエルのメモには日本では大量の銀が取れると書かれていた。 ポルトガル人は日本で安く買った銀をマカオで明に高く売っていた
ポルトガル人は銀で明から絹や陶磁器を買いヨーロッパに持ち帰っていた
(17世紀)1639年 江戸幕府は鎖国を始める
日本とマカオの交流が途切れマカオは衰退する その後 マカオは150年間表舞台から遠ざかる
(18世紀末) イギリス人がマカオへ進出 イギリスはアヘン戦争ののち清から香港を手に入れる イギリスはマカオから香港へと拠点を移す マカオの人口は半減する
(19世紀)マカオで競馬 宝くじ ドックレースほかカジノを始める
〇盧家屋敷 カジノ王 カ ジノで大もうけしたがのちに政府と対立し莫大な借金を抱える 1906年 カジノ王 盧九(1883~)は自分の屋敷の中で自殺する
聖ポール天主堂跡 |
モンテの丘 |
〇 1626年イエズス会制作 9年の歳月 1622年 オランダ軍を敵対した場所 丘の上の大砲はどれも中国を向いてなかった
紀元18世紀 ポルトガル王国 聖ヨセフ修道院および聖堂(マカオ 中国) |
(聖ヨセフ修道院および聖堂)1727年
紀元20世紀 ポルトガル王国の海外領地 聖フランシスコザビエル教会(マカオ 中国) |
〇(聖フランシスコザビエル教会) ザビエルは日本へ初めてキリスト教を伝えた人物 ザビエルは日本を知るために中国マカオへと渡った
質屋博物館(マカオ 中国) |
〇質屋博物館 7階建て ダイアモンドの重さをはかるじゅじゅ 火事があっても燃え移らないようにと部屋と部屋の間にはスペースが
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