秦(しん)王朝(中国大陸) 紀元前8世紀~紀元前3世紀
紀元前5世紀 秦(しん)王朝(中国大陸) |
(孔林)孔子の墓へと続く 参道 空想上のキリンの像が並べられている
墓には孔子と孔子の子孫20万人が眠っている 多くの参拝者が訪れる
(孔府)
孔子の子孫が2000年間過ごしてきたところ
衍聖公(えんせいこう)孔子の子孫として出世した人物
孔子の子孫は皇帝の貴族としてここで暮らした。
今の建物は明代のもので1940年代まで実際人が住んでいた。
その後 誕生した中国共産党(毛沢東)は儒教を受け入れなかったため
そこに住んでいた人たちは台湾へ亡命した。
三峡ダムが完成し長江の水位が170メートルに上昇 歴史的建造物の水没問題もあった
〇西陵峡(渓谷)〇黄陵廟
三峡とは3つの険しい渓谷のこと
紀元前4世紀 秦(しん)王朝 |
〇函谷関(かんこくかん) 老子の誕生祭 秦が建てたもの 劉邦(漢)が破壊した。
紀元前3世紀 秦王朝(中国大陸) 兵馬俑 |
〇兵馬俑(市内から約40キロ) 2200年前 日本は弥生時代の中頃 秦
1974年 麦畑で農夫が地下5~6メートルくらいのところから兵馬俑を発見 7500体(全体の2割程度)
先頭兵は武器なしよろいなし 青銅製の兵士像は一人一人の違った顔で造られている 身長2メートル 重さ200キロ
型にはめ制作 造られたばかりのころは色まで付けられていた。始皇帝の墓を守る像として造られた 馬車もあった
兵士以外に鶴や水鳥 演奏者や力士(大道芸人)の人形も造られた 人形にはそれぞれ制作者の名前が刻まれていた
広さは甲子園球場と同じ 兵馬俑も墓の一部であった
西側では馬や人骨も発見されている ペルシャ系の人のDNAが見つかった
始皇帝陵 |
〇始皇帝陵りょう 秦の始皇帝は 13歳で皇帝の座についてから40年の歳月をかけて造らせた自分の墓
幅360メートル 高さ70メートル 匈奴(きょうど北方民族)の脅威(きょうい)が造らせた巨大な墓 高さ87メートル 広さ10キロ 70万の人が建設に携わった
阿房宮 |
〇阿房宮(あぼうきゅう)は、秦の始皇帝が建てた大宮殿(今のは復元されたもの)
あまりに巨大すぎたため 完成前に始皇帝は死んでしまった
秦長城 |
秦長城 2000年以上前 当時の人口の15パーセント 300万人が建築に携わった ちょっとしょぼい
都江堰とこうえん |
〇都江堰とこうえん 紀元前3世紀(ー248年)に完成した人口の水路 工事期間は8年間 都江堰の完成により農作物がよく育つようになった 秦の統一に大いに役立った
都江堰が出来る前までは時々洪水が起こった また町では慢性的な水不足に見舞われた
2200年前 都江堰が完成し成都平原は一大穀倉地帯へと変貌を遂げた 長城に匹敵する大工事だった
(先人からの知恵)堤防を高くするより川底を深く掘れ 諸葛孔明も都江堰の復興工事に携わった
(石像)1970年代 川底を掘っていたら高さ3メートル重さ5トンの古い石像が出てきた ー168年 李冰りひょう(紀元前3世紀 都江堰を作った人物)の石碑
背の高い石碑は当初 水量を図るために建てられていた(メモリ替わり) うつぶせになって埋まっていたため保存状態がよかった
都江堰は李冰親子が作った 近くからは 頭のかけた りひょうの息子の石像も出てきた 都江堰近くには李冰親子の大きな像がたっている
石碑は息子以外にもう一体見つかっている
岩を熱し 冷やすことで亀裂が生まれそこから岩を砕いていった 竹かごに小石を詰めて川に投げた今でも同じ方法が使われている
コメントを残す